尼僧からキリスト者ヘ
私は十四歳の時、近所の人の死に出会い、初めて人生の空しさを強く感じ、それ以来、「生と死」という人生問題を考えるようになりました。そして色々な本を読みあさるうちに、その解決は仏教の中に見出せるのではないかと考え、医学の勉強と並行して、仏教大学通信教育で仏教学も学びました。しかし、机の上の勉強だけでは何も分かってきません。そこで私は、医学部卒業後二年半経った時、医学生の頃から度々出入りしていた京都の尼僧道場を改めて訪ね、得度剃髪し、袈裟法衣を身に纏った尼僧になりました。
修行生活の果てに
私は日々、定められた戒律を守り、睡眠時間を極度に縮め、道場での修行と仏教大学専攻科の勉強に励みました。やがて専攻科を卒業し、加行という仕上げの行を終え(これを終えた者は宗門の正式な僧侶の資格が与えられ、住職になったりすることができる)、後年、私はその尼僧道場の舎監兼教師に任命されました。
それほどまでに真剣に厳しく勉学修行に励みましたが、私の求めたものは仏教の中にはありませんでした。
そこにあったのは、人間の理性が到達し得る範囲内の悟り、真理であって、理性を超え、宇宙を貫いて尚、存在する絶対的真理ではありませんでした。また、阿弥陀仏などは人間の願望、頭が生み出した抽象的な観念仏に過ぎず、何ら実質実体のないものであることが次第に明らかになってまいりました。こうして、私が最初に求めた確かなもの、絶対のもの、永遠なるもの、絶対聖なるものは仏教の中に見出せないで、大変な失意のうちに広島に帰り、元の小児科医に復帰しました。
偽善の罪の悩み
そんな私のところに、イエス様は来てくださいました。
1979年4月、我が家の隣にキリスト教の教会堂が建てられ、私はその献堂式に招かれ、翌年4月からバイブル・クラスや礼拝にも導かれるようになりました。更に一年後の4月、私は不注意で足を骨折しましたが、神様はこの小さな出来事を通して、私たち夫婦の愛情問題、お互いがいかに思いやりのない間柄であるかを明らかにしてくださいました。私は夫の冷たさに失望し、他方で、体の弱い夫が何度目かの入院をし、その看病に通いながらも、心の中では「いやだなあ、行きたくないなあ」と思ってしまう自分、そのような自分が嫌で、その心が悲しくて……、でも自分ではどうすることもできないで苦しんでいました。
神の招き
この悩みのどん底の時、1982年4月、隣の教会の献堂三周年記念特別伝道集会が聞かれました。私はもう行かないつもりでいましたのに、神様はそんな私をなお見捨てないで、顧みてくださり、不思議な出会いを通して、二晩ともその集会に列ならせてくださいました。
二晩目、講師の先生が神様から全き平安を与えられた時のお証しを賛美を交えながらなさるのを聞いているうちに、私の心に「私もあの先生のように、神からの全き平安をいただく者になりたいなあ。イエス様を信じてそれが与えられるならば、私もイエス様を信じたい!」という願いが強く湧き上がってきました。講師の先生は終わりに「今夜、『イエス様を信じたい人は手を挙げて示してください』とお招きをなさいました。私はそれを聞いた途端、頭の中に色色な心配事が充満してきて結局、手を挙げることができませんでした。ところが、帰ろうと思って席を立ち上がった時、急に「私もやっぱり手を挙げよう。これらの心配事は今はあっちに置いて」という気持ちになって、牧師先生に向かって手を挙げていました。これは私が挙げたというよりは、神様が、聖霊様が挙げさせてくたさったのです。
キリストに出会って
その翌日、入院中の夫のところへ出かけようと車に乗り込んだ時、私は「あれえ」と思いました。「あれえ、私は今朝は一度もいやだなあと思っていないではないか」と気がついたのです。あれほど努力をしても捨てることを変えることもできなかった心が、一夜のうちに完全になくなっているのです。何の努力も修行もしないで!眠っているうちに! 私はそのことに気づいた時、えも言われぬ平安に身を包まれました。「ああ、神様、あなた様はやっぱりいてくださったのですね。『求めよ、さらば与えられん』というイエス様のお言葉は少女の頃から何度目にし、耳にしたか知れませんが、それはこのことだったのですね。本当だったのですね……」。私は心の中でその言葉を何度も繰り返しました。
神様が本当にいてくださることが分かった時、私の心からの願い、叫びに収えて助け出してくださったイエス様に出会った時、私の全身を大きな喜びが貫き、涙が静かに溢れてきました。
唯一の道、真理、命
偽善の罪の泥沼でもがき、自分ではどうすることもできず、「イエス様、助けてください。私はあなたを信じたい!」と、まるで清水の舞台から飛び降りるようにして私は飛び降りました。そこに、イエス様はいてくださいました!そして私をしっかり抱き留め、「わたしはここにいる」(イザヤ書58:9)とご自身を明らかにしてくださいました。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」(ヨハネ14:6)とイエス様は仰せになっていますが、私が若き日、尼僧となってまで探し求めていた道、真理、命はイエス様だったのです。すべてはイエス・キリスト様の中にあったのです。
夫との和解
5月30日、私が洗礼を受けた時、夫はまだ入院中でしたが、8月、半年振りに外泊してきた時、私はイエス様を信じて救われたこと、それまで心に抱いていた「いやだなあ」という気持ちや諸々の気持ち、そして救われたあとの感謝と喜びの生活を残らず夫に打ち明けました。夫は私が話すのを間いているうちに涙を落とし始め、私が話し終えると一言「圭子、済まん」と言いました。私は「いいえ、お礼を言わなければならないのは私の方です。私はあなたのおかげで、長年求めていた神様にお出会いできたのですから、イエス様に救われたのですから」と申しますと、夫は私の方に近づきながら、「圭子、ありがとう」と言って、声を立てて泣きました。私も夫の方に近づき、二人は立ったまま、固く、固く抱き合いました。
主は生きておられます
私は洗礼を受けて間もない頃、聖書の中のパウロの言葉、「もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました」(1コリント15:19〜20)を読んだ時、かつて尼僧だった頃、日夜念仏しても心の中にどうしても拭うことのできない不安がつきまとっていた原因をはっきりと知ることができました。「あの不安は、私が阿弥陀仏に単なる希望を置いていただけだったからだ。何の実体もない、単なる希望に過ぎなかったからだ」と。
しかし、私たちの救い主イエス様はおよみがえりになりました!単なる希望ではありません。神の御子、イエス・キリストの御誕生(クリスマスの出来事)、十字架の死と復活、昇天、そして聖霊降臨、これらは今から二千年前の歴史上の事実、神のみわざ、確かな希望であることを知った時、私もパウロに負けないくらい、大きな喜びに満たされたのであります。
家族の救い
神様は「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒16:31)と、約束しておられます。私がクリスチャンになった翌年、中学生の娘がイエス様を信じて洗礼を受けたのを皮切りに、その翌年には私の母と母の姉が、更には仏教に熱心だった80歳の父が、その翌年には私の夫と息子がそれぞれ、洗礼を受けてクリスチャンになりました。更にその翌年には、私と同年の従姉とその全家族が、病院の看護婦さんたちが、友人たちが次々と、イエス様の尊い御教いにあずかりました。
ご真実なる神様を心から賛美いたします。ハレルヤ!
〔著書紹介〕
『輝く日を仰ぐとき』−仏教からキリスト教ヘー(定価1575円)
『用い給えわが主よ』−個人伝道の処方箋− (定価1365円)
『恵みの高き嶺』−小児科医の巡回伝道記− (定価1365円)
『夕べ雲焼くる空を見れば』−若き医師の人生の旅立ちー(定価1050円)
『悟りと救い』−求道の果てにー (定価1365円)
『母、その響きの中に』−アルツハイマー病とその介護−(定価1050円)
いずれも一粒社(Tel.048-465-7496)発行
(広島県呉市 藤 井 圭 子先生の証し)
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