神様は聞いてくださいました

 昨年私は思わぬ病いを宣告されました。乳癌です。
 全く健康そのものの状態で宣告を受けただけであって、ショックは言うまでもありませんでした。もう自分ばかりが先にたって、どしょうと冷静になんか全くなれませんでした。

手術までの2週間
 もういくら心配してもきりのないと言う事で、悪を善に変えてくださる神に祈る事しかないと、聖書を開きました。エぺソ人への手紙の1章19節が与えられました:
「また神の全能の力の働きによって、私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかをあなたがたが知る事ができるように」と言う祈りでした。
 みことばをとって祈りなさいということを思い、詩篇41篇2〜4節をも読みました:
「主は彼を見守り、彼を生きながらえさせ、地上でしあわせな者とされる。どうか彼を敵の意のままにさせないでください。主は病の床で彼をささえられる。病むときにどうか彼を全くいやしてくださるように。」

 私の病気を知って、ルーテル教会の皆さん、そして私の知らない教会の人達と、自分の知らない所でどれ程たくさんの人が、私の為に祈ってくださった事を知り、もう感謝の気持で顔は涙でクシャクシャでした。

神様は聞いてくださいました。
 私の為に祈ってくださった人達の祈りを、そして私の祈りを。
 神様は私の身体を元の健康な身体に戻してくださいました。
自分の身体を自分で好きなように動かす事が出来るということです。本当に感謝でした。「信じて祈れば報いられる」と言うみことばが浮かびました:
へブル人への手紙11章6節:「信仰がなくては神に喜ばれる事は出来ない。なぜなら神に来る者は神にいますことと、ご自身を求める者に報いてくださる事とを必ず信じるはずだからである」と。
 そして、神様に覚えられていたこと、見捨てられていなかった事、だから病気を恐れ不安になるより、神様のみ手におすがりする事。私たちに最善の事をしてくださる神様。
 神様がくださる明目を信じます。そして感謝しながら詩篇103篇3節を何度も何度も読みました:
「主はあなたのすべての答を赦し、あなたのすべての病をいやします」と。
 病気をとうして感謝と言うことを深く感じた半年でした。今年も去年以上に感謝を忘れないこと。そして、祈りをもって始め、祈りに支えられ、祈りに導かれる日々でありますように主の道に歩みたいと思います。アーメン。

(東福山ルーテル教会の井原津代美さんの証し、2004年元日)

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