受洗と献身の証し
私は、鳥取県でも由緒ある曹洞宗のお寺、長伝寺のParish Leader の家に生まれました。小学校の一年生から六年生まで毎週土曜日に行われる Temple
School (教会学校を仏教的にリメイクしたような学び)に通っていました。その学びで御詠歌(仏陀を賛美する歌)やお経を唱え、住職の説法を聞くことが楽しく、子供ながらに平安を得た思いでした。特に私の生まれた家ではクリスマスより、4月8日のお釈迦様の誕生日である「お花祭り」が盛大にお祝いされ、赤飯とお饅頭が振舞われました。現在の長伝寺の住職は私の祖父が仲人となり結婚をされました。私も小学生まではお寺こそ唯一の救いの場所であり、人生に平安を与えてくれる正しい教えであると信じて疑いませんでした。
ところが、私の人生に大きな衝撃が走った出来事がありました。それはgreat grandmother の死です。 彼女は毎日お経を唱え、熱心に仏陀を信仰する仏教徒でした。しかし、彼女は病に倒れ、死ぬまで絶望の日々を暮らしました。60年間毎日、お経を唱え、熱心に信仰生活を送ったgreat
grandmother が死ぬ間際は全く希望と平安がなかったことは私の仏教徒としての信仰を大きく揺さぶりました。
私もその日から死の恐怖に怯えながら人生を歩むこととなったのです。そして大学生のとき、その死の恐怖は現実のものとなりました。体調を壊し、2週間寝込んだとき、もしかしたらこのまま死ぬのではないかという言い知れぬ恐怖に教われました。何かにすがりたい、何かに助けを求めたいと思っても私には信じるものがありませんでした。少し体調が回復し、スーパーに買い物へ行くとき、遠くに赤い十字架が見えました。私は家に帰らないで不思議とその十字架に導かれて十字架のある建物へと入っていきました。その建物へ入ってそこが教会だと知りました。そこで橋本昭夫牧師(現、神戸ルーテル神学校校長)当時東垂水ルーテル教会牧師からキリストの十字架と復活、罪の話を聞きました。私は橋本師から語られる聖書の話を聞いて、ひょっとすると私の抱えている問題に解決を与えてくれるかもしれないと思いました。
大学を卒業し、故郷の鳥取県に帰って、米子ルーテル教会で、池上安牧師から聖書の学びをしていただき、22歳のとき、イエス・キリスト様の前で罪を悔い改め、復活を信じ、洗礼を受けました。私は22歳にしてやっと本当の生きる喜びを知ったのです。
ところが25歳のときに、大きな試練が私を襲いました。仕事が忙しく、過労のために倒れて、慢性膵炎の診断を受けました。5ヶ月入院する中で思わされたことは私が必要であったように、病気で苦しむ方、試練にあっている方、悩みを持った方には主イエス・キリストが必要であるという思いです。私は是非、私たちをあらゆる苦しみ、そして罪から救ってくださる主イエス・キリストを是非、人々にお伝えしなければならない。その思いが示され、27歳のとき、神学校での学びが赦され、牧師の道へと進んでいきました。
私がクリスチャンとなってからいつも励まされ、勇気付けられる聖句は「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた」イザヤ53;5〜6の言葉です。
キリストは実際にこの地にお出でになり、私達の罪、苦しみ、悲しみを背負って十字架にお付きになりました。だからこそキリストの十字架を信じることは大きな力となり、キリストが復活されたように、私たちも永遠の命を持つのです。是非、日本にもイエス・キリスト様を信じて多くの人が本当の生きる喜びを知っていただきたいと願うものです。
(阿南ルーテル・キリスト教会の牧師高力義博先生のフィンランドツアーの証し
2007年5月)
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