30周年の歩みの中に
主の、御名を、讃美いたします。
吉野川ル−テルキリスト教会、30周年記念礼拝や、祝会に、導かれて、イエス様の証を、させていただく事を、主に、感謝致します。
30年間神様は、この教会を愛し、導いてくださり、数え切れない恵みを、いただきました。次々と、絶えることなく、宣教師や牧師先生ご夫妻を、送ってくださり、私達に、みことばを取り次いでいただき、又、先生方の日常生活を通して、神様の御臨在を感じる事ができました。私達、教会員の一人一人にも、配慮有るコミュニケ−ションを取って下さり、私もいろんな試練の時、先生方が側にいて下さるだけで、慰められ、暖かさを感じ、上からの力が与えられ、起き上がって来られたと思います。
思い起こせば、走馬燈のように、次々と、いろんな場面が浮かんで来ます。特に祈っていた、お一人お一人が、神様のそれぞれの方法で救われて、この群れに加わってゆく事は、本当に喜びでした。
私も救われて35年と成りますが、香川県から、こちらに、引越してからの30年間は、この教会で育てていただきました。その中で主人と長男が救われました。長女は今、祈りの課題と成っていますが、神様がどんな方法で、彼女を導いて下さるか、楽しみに祈って行きたいです。過ぎ去ればアッと言う間の様でもありますが、この世の日常は、周りの人間関係の事、仕事の事、家庭の事などの悩みは尽きませんでしたが、只々みことばにしがみついて走ってきた、30年の様な気がします。
そして振り返れば「イエス様、そうだったんですか」と感謝に変わって行きます。まだ分からない事もありますが、天国へいって聞くのを楽しみにしています。それから私事ですが、7〜8年位前から始まった更年期障害で、肉体的にも精神的にも、苦しくて辛かったトンネルを、やっと抜け出せた処の様です。どん底の真っ最中の時は、誰に話す余裕もなく、教会へ来るのも戦いでした。毎晩、薬がなくては眠れなかった時期もありました。聖書も読めず、祈りも出来ず、不安な夜などは以前にピヒカラ先生が、メッセ−ジを書いた手紙をたくさん下さったのを、読み返したり、いろんな先生方の、メッセ−ジテ−プや讃美のテ−プを聞くと、落ち着いた気分に戻れて、又元気が出て、ほんとうに助けていただきました。「みことばの力」を思い知らされました。
15〜16年前から、小さな書道教室をしておりましたが、加えてふとしたきっかけで友人と、訪問介護事業所を立ち上げて、働くようになりました。「もう私は年だから…」と消極的だったのが、「これほど必要として下さる場所が、私にはまだあったー」と言う励みに変わりました。介護の仕事は、肉体的にはきつい面も有りますが、逆にお年寄りの存在で、私がかなり癒され慰められております。感謝な事です。仕事中時おり伝道の書の、12章1節の「あなたがたの若き日に、あなたの造り主を覚えよ」と言うみことばが脳裏をよぎります。私の接する、80歳後半から90歳以上の人達の多くが、「生きていていても甲斐がない、早う死にたい。」と口癖の様に言われます。この世の「見栄」や「体裁」をかき集めて歩む人生は、年老いて不遇に成ると、人々は去って行く様ですが、イエス様を心に受け入れている方達は、まわりの状況に左右されず、将来、天に於ける希望があり、日々感謝して輝いた生活をしておられます。本当に天と地との差を思います。神様を知らないお年寄り達を相手に、祈りつつマタイの福音書25章40節の「あなた方がこれらの私の兄弟達、しかも最も小さな者達の一人にしたのは、私にしたのです。」と言うみことばを念頭に置いて、現場で実行出来る様に少しづつですが努力してゆきたいと思っております。
さて、イエス様は明日はどんなお年寄り達の姿て゛、私の前に現れて下さるでしょう。楽しみでも有ります。 "ハレルヤ" 感謝します。
(吉野川ルーテル・キリスト教会の30周年記念祝会に宮崎和子さんの証し、2005年6月5日)
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