救いに与った私

  1991年9月19日 はじめてキリストの教会に招かれました。 心の中で「助けて下さい。何とかして下さい。」というたまらない思いを持って、以前戴いたクリスマス礼拝の案内を手に持ち、書かれている住所を探しながら、私はキリストの教会を訪ねました。

 教会の先生から「イエス様が救ってくださいますよ。」とお聞きし、少し心に落ち着つきを取り戻したように思います。

 私が何故、救いを求めてキリストの教会へ行ったのか、お話ししたいと思います。当時、高校一年生の長男が2学期から不登校になりました。今までそのような事はなかったので、驚きと共に、これからの彼の人生を憂いました。大学を出ていないと息子の将来はないと、当時本気で思いこんでいました。

 心配した私は廻りの親族の者や、公の機関にも相談しましたが、高校生ということで義務教育とは違うため、復学を勧める事に難しさを感じたり、返って私たち親が非難されるだけで、彼のことを誰もどうする事も出来ませんでした。

 ちょうどその時、新聞広告に悩み事が2千円で解決するかのごとく書いてあるチラシを見つけました。今思えば悩み事が金銭で解決するはずもないのですが、当時の私は何とかしたいという思いを持っていたものですから、そこを訪ねて行きました。訪ねて行ったその先でどういう分けか私の過去を聞かれたのです。正直に答えました。すると「あんたがそういう事をしたから、息子がこういう目に遭うのだ。」と言われ、ショックを受けると共に自分を責めはじめました。息子が学校に戻る事を願い、その事だけを考えていた私に、正しい判断力はなく、相手に言われるまま、最初の2千円を支払い、次回には3万円を持って行き、そしてその次には百万単位のお金の要求がありました。私は何故そのような大きなお金が必要なのかを訪ねました。するとその方は、「あなたの息子を救うために私が祈るために必要なお金だ。」と言われました。 「では、いったい私は何をすればいいのですか」と聞き返しました。
するとその方は本気でこう言われたのです。「毎朝起きたら、トイレの掃除をしなさい。」

 私は自分がそんなことをして本当に息子は救われるのかと心の中で思いました。次第に疑いの目を向けていた私は、大金の要求を機会に「もういいです」と言いました。途端にその方の態度が変わり、今度は私をなじったり脅したりしました。

 しかし、なじられる事によって、私は若いころ犯した罪の暗い部分を再認識する事になりました。それは惨めな記憶として私の心の重荷になっていることでもありました。長い年月も経っており、どのように罪を償っていいのかも分らず、たまらない思いを持って我が家に帰りました。しかし「あんたの為にこうなった」という言葉が、私の心をとらえ、もうじっとしておれませんでした。以前、近所のクリスチャンの方から、戴いていた案内を持ってキリスト教会に駆け込みました。
キリスト教会の先生から「大丈夫ですよ。イエス様が救って下さいますよ。」と言われ、たまらない思いの中にあった私を励ましてくださいました。そして、私の肩に手を置き、静かに祈って下さいました。

 
心に落ち着きを取り戻した私は教会の聖書をお借りし、むさぼるように読みました。次の週からは聖日礼拝にも出席させて頂き、聖書を読む為に必要な辞書もお借りし、週の半ばにはイエス様がどなたなのか先生に質問をしたり、私たちが救われる為にどうすればいいのか本当に一生懸命に求めました。

 教会の日曜礼拝に出席させていただくようになつて、7回目の時でした。思いがけず礼拝中にイエス様が神様であるという事が、心の中にストンと落ちたのです。救われる為にどうすればいいのか一生懸命だった私に、本当に一瞬のうちに、イエス様が神様であるということを信じる心が、与えられたのでした。

 
今まで重くのしかかっていた両肩の荷がすべておりたような感じがしました。心に平安が与えられ、本当に安心仕切ったと言おうか、すべてを神様にゆだねますという気持ちになりました。

 しかし我が家に帰ってひとりになってみると、何故一瞬のうちに信じる事ができたのか、不思議な思いでいっぱいでした。そんなとき壁にかけていた星野富弘さんのカレンダーの詩が私の目に入りました。その詩はこういうものでした。

「動ける人が動かないでいるのには 忍耐が必要だ
私のように動けないものが 動けないでいるのに 忍耐など必要だろうか
そう気づいた時 私の体を ギリギリに 縛り付けていた 忍耐という
棘のはえた縄が ゛フッ゛と解けたような気がした」

何となくその詩を見ていた私はハッとしました。そして何回か読み直してみました。今の私は自分でこの状態をどうする事も出来ないではないか。動くことができない、動けない私ではないかと思いました。それまで努力も忍耐も自分は出来ると思っていました。しかし、自分の力ではどうにも出来ない、動けない弱い存在であると知らされた時、心からイエス・キリストを私の救い主として受け入れる事ができました。

 
そして、あれほど息子の将来を心配し、大学をでなくてはこれからの時代生きていけないと思っていた私に、息子を神様にゆだねよう。神様が息子を造られた。そして息子のレールは神様が引いてくださり運んでくださる。息子はただ私を通してこの世に来ただけなんだと思えるようになりました。自分の力で何とかしようと、ひとり考え、悩み、苦しみの渦の中へと吸い込まれていた私は、その時から「神様に深く信頼できますように」と祈る者へと変えられていきました。

 私は自分と息子の救いを求めて教会を訪ねました。そして信じる心が与えられた時、救われたと思いました。しかし罪の赦しが与えられたという確信はありませんでした。自分の過去の恥の部分を、結婚という形で隠しおおせた私ですが、罪の暗い部分はそのまま私の痛みとして心に残されていたからだと思います。神様はその心の痛みから私を解放するために、息子の不登校を通して、私の罪を明るみに出してくださり、償う時を与えてくださったのだと思います。そして私を罪の赦しへと招いてくださいました。

その年の12月22日 
「主よ私を哀れんでください。その罪と罰は私のものであって、息子のものではありません。」洗礼の時、神様の前に自分の罪を認め、その罰を自分のものとした時、イエス・キリストの『父よ。かれらをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。』と私の罪の罰を、ご自身が引き受けてくださり十字架の上で、犠牲となってくださったのでした。
 このイエス・キリストの尊い愛の行為が、私の心に赦しとして与えられ、救いの確信を得る事が出来ました。そして今赦された者として、神様から新しい命を与えられ、御前に祈りながら歩んでいける幸いを心から感謝しています。

 
最後に一カ所、聖書の言葉を読ませて頂きます。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは、御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠の命を持つためである。」ヨハネの福音書3章16節    

(東福山ルーテル教会の佐藤英子さんの証し、2004年10月23日)

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