心の健康と幸せ

 主なる神は私たちに生命を与え、生かして下さっています。それは今も過度に傷つ くことなく、安らかに生活できるよう、守っていて下さることなのです。私が知らな くても、感じていなくてもそうなっていると信じます。例えば、日常の生活で家族の 関係(夫と妻、親と子、兄弟姉妹)があまりにも刺激的で感情の起伏に富んでいたら どうでしょうか。
それだけで疲れ果てて、食べたり、寝たり、お掃除したり洗ったり、 普通の生活ができないでしょう。波風が立たない退屈な人間関係もそれなりに味わい があると言えます。あまり気を使わなくても良い人間関係をも大いに喜びましょう。
 震災の後、ずっと感じていたことです。あの時、隣のマンションが潰れて3階が2 階になり、1階の住人4人が瞬時にこの世から消えました。にもかかわらず私は悲し いとも何とも感じないで、涙を流す事も忘れました。その後ずっと心が閉ざされ、悲 しくも、うれしくもない緊張した心理状態が続きました。多分次々と起こる出来事に、 傷つく事のないように神様が守って下さったのだと思います。そして仮面を被った状 態から徐々に人間らしさを取り戻しつつあります。
 愛する肉親を失った方で、まだ本当に涙を流して悲しむ事のできない人に出会う事 があります。でも本人は気づかないで一生懸命に忙しく非情な毎日を走り抜けていま す。人としての生々しい感情を表すことができない程、私たちは傷ついているのかも しれません。現代人の心はその方向に病的に進んでいるようです。その反対にどうか 少しでも自分の心の叫びを聞いて人間らしく自分を表明し、外に向かって自己を解放 できるようにと祈ります。それが心の健康と幸せにつながるような気がします。 主の栄光が現れるように。私たちに心と体の健康を与えて下さい。  アーメン

告白と祈り

 今、私に必要な事は(信仰による救いと喜びを受ける前に)悔い改めの涙です。 宇宙に対して地球に対して、神に対して隣人に対して、自分がどんなに有害な存在で あるかを知ること、そこから自力では逃れ得ない現実とどうしようもない悔悟とくや しさと悲しみと謝罪と、その結果生まれてくる敬虔と謙虚さです。沢山の命を殺し、 傷つけて存在しなければならないこの自分とは何者なのか、その意味を一番下から問 う事が、今の私に必要です。天国は我らのものと言う前に、今立っている足下を見よ う。そこは神の御座、神が創られた者に対して、私は何という口を聞き、何という行 いを、無礼な振る舞いを重ねてきた事か。言葉ではなく感覚として行いとして自分自 身を明らかに表明しなくてはなりません。主よこの思い上がりと自我をどうか打ち砕 いて新しい命を下さい。今までと違う生き方をさせて下さい。 イエスの名によってお願いします。   アーメン (芝川恵子、 主婦)

戻る