「見よ、私は、戸の外で立って、たたく。誰でも、私の声を聞いて戸を開けるなら、私は、彼の所に入って、彼とともに食事をする。」黙示録3章20節。
2000年前の初めてのクリスマスに一体何が起こったのでしょうか。この宇宙とこれを越える神様の見えない世界で最も大きな出来事が始まりました。全てを創造なさった全知全能の生きておられる神様は人間としてこの世に来られました。それは何故だったかと言うと私達人間を救うためでした。
神様によって創られた人間は神様の偉大さ、大きさ、義、神性を知りながら、神様から離れて、神様に背を向けて、自分かってな道に進みました。高慢になって自分自身が神の様になろうと思って、罪を犯しました。罪責感と恥と恐れと来るべき神様の裁きを逃げるために、罪の奴隷となった人間は誠の神様の罪に対する正しい罰を良心の中に感じながらも、自分かってな神々を創って、良心の声を消そうとしています。罪のために盲目になった人間はとうとう誠の神様が分からなくなってしまいました。しかし、そんな中に決して幸福になれないし、人間関係がうまく行かないし、死を恐れているし、人生の意味が分からないし、何処にも希望を見つけないのは人間の惨めな実態です。それをご覧になった愛の神様はその深い恵みの故に人間をご自分の交わりの中に戻すためにこの地上に降って下さいました。神様の愛の交わり以外には人間は滅び行きものだからです。
しかし、イエス様が生まれた時には人々は彼を受け入れようともしませんでした。罪と悪魔と死によって支配されている人間は、真理、真実、愛、恵みを持って来られたイエス様を拒みました。それは、初めてのクリスマスの夜イエス様が馬小屋で生まれなければならなかった形でも現われました。イエス様が十字架につけられた時に一番明確になりました。
今年のクリスマスにも多くの人々はクリスマスをお祝いしながらも、イエスキリストを拒否し続けています。暗闇の人間は未だに罪を愛し、真理を知りたくもありません。ところで、神様は人間の目から見ると敗北の時に完全な勝利を得られました。それは、イエス様は十字架の上で私達に代わって、私達の受けるべき永遠の裁きを完全に取り除いて下さいました。神様と人間の間になった罪の壁を取り壊して下さいました。イエス・キリストの十字架の苦しみによって、罪の赦しと神様との永遠の交わりの道が開かれました。人々は邪魔者を取り除こうとした時には神様は一方的に救いを備えて下さいました。
父なる神様は私達の罪が殺したイエス・キリストを死人の中から甦えらせました。天に昇天なさったイエス様に全人類の為に聖霊様をお与えになり、そしてイエス様は聖霊様を地上に送って下さいました。そして、イエス様は聖霊様を通して今も私達に近づこうとしておられます。もし私達は聖書の中の光のみ言葉に耳を傾けようとしたら、イエス様は聖霊を通して私達に語って下さいます。そして、私達の心の中に入ろうとしておられます。もし私達はこのイエス様の声を聞いて、心の戸を開くならば、イエス様ご自身がその中に実際に入って下さいます。それは、今日私達が体験できるクリスマスです。イエス様が入って下さる時には、聖霊様はキリストの十字架の死による罪の赦しとキリストの復活の力による永遠の命に私達をあずからせて下さいます。神様との交わりが始まって、食を友にする喜びよりはるかに大きな恵みに入れて下さいます。
この本当のクリスマスに与る条件は自分の罪を神様のみ前で認めて、赦しを願って、主に心をありのままに明け渡す事です。それは、悔い改めと信仰とも呼ばれます。イエス様が入ろうとする心の家は馬小屋よりも汚くても、主は入って下さって、それを清めて下さいます。心の家はそれからも以前と同じの家ですが、その中に誠の光でおられるイエス・キリストがずっと住んで下さって、永遠の天の御国まで導いて下さいます。あなたもイエス様の招きに心を開こうではありませんか。
キリストの言葉:「見よ、私は、戸の外で立って、たたく。誰でも、私の声を聞いて戸を開けるなら、私は、彼の所に入って、彼とともに食事をする。」