暗闇から主の光へ

 
今日、洗礼を受けられることができて心から神様に感謝したいと思います。
  私は小学生のころ、高橋博さんが子供向けの集会を開いておられ、その集会に行っていました。クリスマスの時に一度だけこの教会にきたこともあります。  しかし、その後、いろんな事情で教会から足が遠のいてしまい、高校のときから占いに興味を持つようになりました。
 人に勝つことだけが目標という人生になり、生活も今から思えば大変自己中心的なものでした。益々、占いにはまっていき、すべてのことを占いで決定するようになっていきました。占い以外はまったく興味も関心もなくなってしまったのです。
 大学卒業後の会社選びも占いで決めてしまい、なんと宗教的な雰囲気が濃厚なある会社に就職してしまったのです。そこの会社では毎日、朝晩必ず、その宗教の神にお祈りをしてから仕事を始めるというものでした。
 ところが何年か後に、大きな病気にかかってしまい、祈っても癒されず、それで仕事ができなくなり、31歳のとき、ついに解雇されてしまいました。
 その後、占い一筋の生活を送り、かなり高い地位まで上りつめました。しかし、鑑定すればするほど疲れてきて、33歳のときに占いの仕事もできなくなり、寝たきりの生活を余儀なくされました。
 私は若いころから神社やお寺参りをして様々な宗教を求めてきましたが、結局、それらは何の助けにもならず、かえって疲れてしまって、精神的な面においても身体的な面においてもどんどん弱くなっていっただけでした。そんなとき、もしかすれば子どものころ行った教会に本当の神様がおられ、何かの力がいただけるのではないかと思って、今年の6月にこの教会の礼拝に出席したのです。
  そうしたら教会の皆さんの元気な賛美の声や先生のメッセージが私を元気付けてくれました。それから毎週、礼拝をはじめ、祈祷会やクロステーションに積極的に出席し、益々元気付けられていきました。ところがちょうど、そんなとき、植田先生から「聖書では占いを禁じている」という話を聞いて大きなショックをうけました。なぜなら、キリストを信じることは、今まで私の生活の手段であった占いができなくなるということだからです。
 正直に言えばもう教会をやめようかなとも思いましたが、教会にいけばなぜか元気が出てくるのでやめることはできませんでした。
 8月25日に教会にこられた久保先生に相談してお祈りしていただきました。久保先生はその後、植田先生を通して猪名川町にお住まいの石賀誠先生のところに一緒に行こうとおっしゃってくださいました。なぜなら、石賀先生はいやしの賜物をもっておられるということだったからです。9月2日、植田先生と久保先生と3人で石賀先生のご自宅にお邪魔して、占いを通して私に影響を与えているサタンの霊が出て行き、病気がなおるように祈っていただきました。
 でも最初は何の効果もでませんでした。そのとき、石賀先生は私に「あなたはイエス様を信じていますか」とお尋ねになりました。どうしてかというと本人が信仰を持ってイエス様に願わないとイエス様も聞く事はできないからです。
 しかし、私はまだ信仰を持っていませんでした。そのことを先生に告げると先生は一生懸命にイエス様のお話をしてくださり、なんとか私が信仰を持って救われるようにしてくださいました。しかし、いくら先生のお話を聞いてもピンときません。なかなかイエス様のことが分からないのです。
  先生も「サタンが信仰を持つ事を妨げているから話だけでは駄目だ。祈りによるしかない」と私の状態を分析され、祈りの時をもちました。石賀先生をはじめ久保先生、植田先生も真剣に私のためにずっと祈ってくださいました。しかし、そのときも私の心にどこからか、「神を信じるな」ということばが聞こえてきていたのです。
  祈りは終わりました。ところがそのとき自分でもよく分からないのですが、私の口が勝手に「真の神はイエス・キリストだけである」としゃべってしまったのです。このことは、今から思えば、自分が言ったというより神様に言わされた言葉だと思います。我ながら本当にどう言っていいかまったく分からない不思議な経験でした。しかし、そのとき、私は「イエス様だけが真の神様であること」が心からはっきり分かったのです。
 そのことをはっきり先生たちに告白すると先生たちの間に大きな喜びが湧きあがり、ハレルヤ、ハレルヤという声が部屋中に響きわたりました。
 その後、久保先生が行っておられる教会の礼拝堂の十字架の前で悔い改めと信仰告白を行いました。その日に洗礼を受けることを決心したことはいうまでもありません。
 イエス様の救いの素晴らしさが益々わかってきて、今日の日を迎えることは本当に感謝です。

(あお福音ルーテル教会の匿名希望者の証し、2002年10月27日の洗礼の時に)

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