黙想リトリートの恵み
10/12〜10/13まで蒜山バイブルキャンプで行われたレディース黙想リトリートの恵みをお話したいと思います。
本当は帰ってきてからすぐにみなさんに恵みのご報告をするつもりでしたが、思いがけない怪我で入院してしまい、遅くなってしまいました。お祈りに覚えてくださり順調に回復していますことを感謝いたします。
黙想リトリートとは何か、ということですが、このプログラムは説教や講演はありません。内容は礼拝、祈りが中心で、ひとりひとりが個室で聖書の箇所を読み、祈り、分かち合いをします。食事の時間もおしゃべりはしないで音楽を聴きながらお料理を味わいます。以前子安先生がこれを体験されてから、とてもいいから機会があったら是非行ったらいいよ、と勧めてくださいました。また、今年玉島教会とこどもキャンプをしたときに、ひさしぶりに竹本さんのご主人とお話する機会があって、リトリートはいい!僕はこれに行ってからデボーションの楽しさを知りました、と話してくださり、次回はお誘いします、といってくださいました。そして、今回の蒜山でのプログラムに奥さんの竹本浩子さんがお友達と一緒に行かれるということで声をかけてくださいました。参加者は私たち3人とお世話係りの倉吉教会のストランド先生・仁摩教会のオペルード先生の5人という小さな集まりでした。
私は、子供が生まれてから自分の用事のためにひとりで泊まりにいくのは初めてでしたので、楽しみにして出かけました。なによりも、家のこと、教会のこと、仕事、とずっと忙しくしていましたので、このままではいけないという危機感のようなものが私の中にありました。目の前のことをこなすことに精一杯で祈ること聖書をよむことも義務のようになっていました。家の中で祈っているときは、いろいろなことが目に入ってきたり頭に浮かんできたりで、途中で席をたってしまうような状態でした。時間がないことを理由に、気になっている人に電話をしたり、尋ねていったり、お招きすることもできなくなっていました。こんな貧しい状態の自分をどうにかしていただきたい、という思いがあって、静まってリフレッシュすれば神様が何かを語りかけてくださるかもしれない、という期待をもって出かけました。
蒜山のベツレヘムロッジは新しくて広々としたラウンジやかわいらしい礼拝堂、小さなグループのためのチャペルがそろった気持ちのいいところで、ぜひ教会の皆さんと一緒に泊りがけで来たいと思いました。
ところがプログラムが始まってしばらくして夕食の時間に自分の部屋から食堂へ行くとき、外があまりにも真っ暗で慣れない場所だったので道路の横の溝に落ちて怪我をしてしまいました。すぐにスタッフの奥野さんが病院へ連れて行ってくださり応急の手当てをしていただいたので、帰ってから皆さんと合流することができました。ひどい傷でしたが不思議に痛みはなく、せっかくのリトリートなのに皆さんに申し訳ないという思いでしたが、このためも祈っていただき、静かな礼拝を共にして平安をいただくことができました。翌日も最後まで皆さんと一緒にプログラムを終えて帰ってくることができました。そして、次の日一度会社へ行ってから病院へ行くと、骨折しているのですぐに入院して手術ということになってしまいました。入院がどれくらいになるかは今後の経過を見ないとわからないということで、突然のことであわてましたが、あとはお医者さんにお任せするしかありませんでした。そして17日間の入院を経て心配していた感染症もでなかったので退院することができました。
休みがほしいほしいと思っていたら、神様は思いがけずこんなに長い休暇を与えてくださいました。足が動かせない不自由さはありましたが痛みがないので元気だったし、仕事のほうも無理をしないようにといってくださることに甘えて休ませていただいて、本当にゆっくりさせていただきました。
黙示録3:20に「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、私の声を聞いて戸をあけるなら、私は、彼のところに入って、彼と共に食事をし、彼も私とともに食事をする。」という箇所があります。私は今までイエスさまが戸をたたいてくださったら、開けるのですが、玄関先で、あ、私は大丈夫ですから、といって立ち話をして部屋の奥まで入っていただかない、そんなかかわりかたをしていたような気がしました。現実に起こっている問題や心の中でいやだと思っていること、疲れていること、を神様に明け渡さないで、自分でなんとかしようとしていたことにきがつきました。自分の心の中の状態を見るのが怖くて自分でふたをしてしまい、神様の前にも持っていかずに自分でなんとかしようとするか忘れようとしていました。もっと神様の近くにいたい、祈ること、みことばをいただくことが何よりの楽しみ喜びとなりたいと思いました。それにはやはり、目の前のあれこれをひとまず置いて、短い時間でも落ち着いて心をこめて神様とむきあうしかないと思いました。
今回の怪我は、神様が蒜山のリトリートだけではまたすぐにもとの生活に戻ってしまう私のことをご存知で余分に特別に下さったお休みのような気がしています。家族には心配をかけ、迷惑をかけてしまいましたが、私自身は平安と喜びがありました。
ヘブル4:16に「ですから、私たちはあわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」とあります。
助け主、慰め主であるイエスさまになんでも打ち明けてこどものように信頼していきたいと思います。
(東福山ルーテル教会の渡辺章子さんの証し、2003年11月30日)
戻る
|