第三のクリスマス

第一のクリスマス
 クリスマスは三つの種類があります。初めのクリスマスに神様は御自分の御子イエス・キリスト様を私達のところにお送り下さいました。宇宙を創造なさった全能の神様御自身が小さい赤ちゃんに住んでおられ、誠の神様が本当の人間になられました。この出来事は奇跡の中の最も不思議な奇跡なのです。イエス様を通して私達は神様の栄光を見ることができます。しかし、それだけではありません。イエス様は十字架の死と体の蘇りによって、私達を罪と死と悪魔の支配から開放して下さる為にお生まれになりました。それは私達が神様の子供になれるためでした。

第二のクリスマス
 第二にクリスマスは今日です。それは福音の御言葉を通してイエス・キリスト様があなたの心の中に生まれる大きな喜びの奇跡なのです。クリスマスのプレゼントはイエス・キリストの故にあなたに与えられる罪の赦しと永遠のいのちです。あなたが神様の子供になれる素晴らしい賜物です。神様の聖霊様があなたの心に住まわれ、父なる神様の愛の御顔をあなたに示して下さいます。あなたが安心して「父、パパ」と言える親しい交わりを全知全能の神様と持てるのです。又、自由な神様の子供としてあなたんは相続人にもなります。あなたは新約聖書で与えられたイエス様の遺言で天の御国の持ち主です。
 神様からこんな素晴らしいプレゼントを頂いたあなたは、本当に祝福されています。おめでとうございます。

第三のクリスマス
 しかし、第三のクリスマスもあります。それは体験として一番よいクリスマスです。それは、天の御国の光り輝くクリスマスです。もう既に遺言で所有権を持っていますが、その時に今までのクリスマスの意味が明らかになります。聖書の中にそのクリスマスについて次のような事が書いてあります。
 「御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の名がついている。もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らには灯火の光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である。」(黙示録 22:1-5)

「今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」(1コリント 13:12ー13)

信仰、希望、愛
 天の御国は父なる神様とイエス・キリスト様の御顔を仰ぎ見て、その御顔の栄光を讃美して、いのちの川、聖霊の愛の川で満たされて、いつまでも新しいプレゼントとしての恵みを受けつづける、もっとも素晴らしい世界です。それは苦しみと戦いの中に歩んでいるクリスチャンの確かな希望です。その中に何時までも続くものは信仰と希望と愛です。信仰は本質的に神様のプレゼントを受け入れる、開いた心に過ぎません。不信仰は信仰心に欠けているような事ではありません。不信仰は神様の折角のプレゼントを無視して、それを要らないで拒否する自分自身を信ずる姿勢で、傲慢な態度です。信仰は神様の愛を必要だから、それを喜んで受け入れます。天の御国でも永遠にいのちの川の愛を何時までも受け入れる信仰が残ります。

 しかし、何故希望も天の御国に残るでしょうか。それは天の御国には総てが新しくされているからです。川が流れている所の水が何時までも新しい物です。何分か前の水ではありません。イエス・キリスト様の御顔から出る愛は何時までも深まって、何時までも大きくなって、新鮮なものです。その故に救われた人々の中からどこまでも新しい讃美と喜びが沸いて来ます。天の御国はダイナミックな人格的な総合愛のプロセスで、決して飽きる事は出来ません。だから希望が何時までも残ります。

 天の御国の本質は完全な愛なのです。愛は相手を高めて、相手を評価して、相手のために最も貴い物を捧げる自由な心から出る行為であります。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」天の御国の愛は十字架で現れた神様の愛と同じ性質のものです。だから、天で聞こえる讃美の内容は次の通りに描いてあります。

天国の賛美
天の群集は大声で言った。「ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。」また私は、天と地と、地の下と、海の上のあらゆる造られたもの、およびその中にある生き物がこう言うのを聞いた。「御座にすわる方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように。」(黙示録 5:12-13)

 私達の為に捧げられた、ほふられた小羊イエス・キリスト様が讃美と誉れの対照です。讃美は愛に対する返しで、讃美する方をも、讃美される方をも、最も幸せにする愛の現れです。愛が何時までも残ります。

 初めのクリスマスの喜びは主の栄光の中に羊会達に現れた天の御国からの御使い達の讃美の歌声で現れましました。彼らはイエス・キリストの誕生を祝ったのです。「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」初めのクリスマスにもう既に最後の素晴らしいクリスマスの歌が始まったのです。今日のクリスマスにも同じ讃美に心を合わせることが出来ます。神様の一方的な恵みを誉めたたえましょう。


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