本当のクリスマス

 「マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」(マタイ福音書1章21節)

 クリスマスは主イエス・キリスト様の御誕生のお祝いです。罪や死や悪のこの世に、義と甦りと開放とをもたらして下さった救い主の御降誕です。神様のクリスマスプレゼントはイエス様の十字架の死による罪の赦しです。イエス様の復活による永遠の命です。心の中に入って下さるイエス様の力による悪魔に対する勝利です。ですからクリスマスほど大きな喜びはあり得えません。

本当のクリスマスプレゼントはイエス様ご自身でおられて、イエス様を心に迎えるのはクリスマスです。クリスマスと言う言葉はキリストを崇めると言う意味です。あなたが今日イエス様を心に迎えて受け入れるならば、あなたの全ての罪がゆるされ、心が喜びと平安で満たされ、主イエス様があなたの人生をその真実と愛とによって支配するようになります。そうしたら今日はあなたにとってクリスマスです。

くるしみます
 クリスマスという言葉には日本語で変な連想も起こりうるのです。苦しい事が増す(クルシ・マス)と思い込んでいる人もいるかもしれません。しかしある意味ではそう言ってもいいと思います。イエス様が生まれた所は馬小屋で、その後間も無く苦しいエジプトの難民生活が始まりました。イエス様は決して喜んでこの世に歓迎されたとは言えません。イエス様の道は人々の憎しみや偽りに囲まれて、苦しい十字架に向かう道でした。私たち人間の罪の苦しい処罰を全部、私達に代わって受け取って、それを終わりまで、十字架の死まで、経験して下さった程の苦しい道でした。だからキリスト様を崇めることはその苦しみをも崇める意味です。十字架の愛は本物の愛です。それはもはや私達が一切罪の罰を経験しなくてもよいように主が十字架の代価で得た恵みのプレゼントです。しかし主の苦しみの道は体の復活の勝利で完全なものに結ばれたのです。

真理の王
 何故クリスマスに多くの人々が主イエス様にある喜びや平安のプレゼントを通り過ぎていくでしょうか。知らないで通り過ぎる人々にこの喜びの知らせを伝えようではありませんか。知っても神様の愛を拒む人々は自分の罪と死の現実を認めたくないからでしょう。真の真理を拒みますから。罪を愛しているからでしょう。だからイエス様はピラトの前にご自分の誕生について次のように言われました。

「私が王である事は、あなたが言うとおりです。私は、真理の証をするために生まれ、この事のために世に来たのです。真理に属するものはみな。私の声に聞き従います。」 (ヨハネの福音書18章37節)

 初めのクリスマスに羊飼いたちのように、イエス・キリスト様の御前にひれ伏して、主を私達の人生の王として拝もうではありませんか。私達について痛い真実を語って下さる主はそれを認める人に赦しと喜びと平安とを与えて下さいます。その真理を拒み続けるならば、命の源である主を通り過ぎて、不安と暗やみに向かう他に何もありません。クリスマスは主イエス様との交わりのことです。


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