恐れから平安へ
「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」(ルカ2:10-11)
クリスマスになるといつも思い出すのは、もう既に天に召された、大吉さよさんの事です。聖書を殆ど知らなかったのに、このクリスマスの福音が癌の手術を受ける前の晩に何ともいえない力で心に迫って、不安のどん底に神様の深い平安を与えました。何日か後で、彼女に初めて会った時に「イエス様に出会いましたよ。素晴らしい平安が与えられました。」とおっしゃる姿が目の前に浮かんできます。クリスマスはただの昔の出来事の記念日だけではありません。クリスマスのメッセージの中にイエス様ご自身が今日も平安と喜びを提供して下さいます。
私達人間には二つの根本的な憧れがあります。一つは心の平安で、もう一つは満足させる喜びです。聖書の素晴らしい知らせは、その両方はイエス・キリストとの出会いによって与えられると言う事です。
平安への道
多くの人は瞑想や修業や色々の心理学的な方法などで心の開放感と平安を得ようとしていますが、一時的な効果を経験したとしても、又不安や恐れの波に飲み込まれてしまいます。経済的な不安よりももっとも根本的な暗闇、死への恐怖に襲われてしまいます。どうしようもない私達の為に天の御国から輝く御使い達のメッセージは「恐れるな」という言葉です。イエス様がこの地上に来られたのはちょうど貴方の心に平安を与えるためです。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」とイエス様が招いて下さいます。不安を感じる時にイエス様が貴方を待って、喜んで迎えて下さいます。十字架の上に貴方の罪の処罰を身代わりとして受け取って、その死からの蘇りの力であなたに新しい命を注ごうとする救い主は快く貴方を今のままに受け入れます。イエス様はその御言葉を通して貴方に語りかけて、心の拠り所に招いてくださいます。弱い者が全能の主の愛に囲まれて恐れる必要はありません。将来にどんあことがあっても罪赦された者は見捨てられる事はありません。
喜び
現代人は喜びを楽しみと感違って、一生懸命に娯楽や趣味や心を楽しませる体験などを追い求めています。しかし、喜びは本質的に体験ではなく、人格的な関係による心と心の触れ合いによる分かち合うことです。心の通じる相手がなければ幾ら楽しい時があっても、喜びが湧いてきません。イエス様の元で心の総てを主に語りながら最も深い喜びが生まれます。
「あなた方に私自身の喜びを与えます。」とイエス様が約束なさいました。イエス様にとって最も嬉しいことは罪人を赦して、神様の子供に作り替えることです。良い牧者として迷ってしまった羊の後を追って、見つかったら、肩に乗せて、家まで運んで、皆と一緒に喜ぶイエス様です。イエス様にとって悔い改める貴方を赦すより大きな喜びはありません。放蕩息子が帰ると父なる神様が大きな喜びをもって受け取って下さいます。人々に恵みを与えて救ってくださるのは神様の最も大きな喜びです。主の愛に抱かれて、罪赦されるより大きな喜びは人間にもありません。その愛の交わりは神様からのプレゼントです。
戻る