上記のイザヤの箇所は主イエス・キリスト様の誕生をその700年前に預言したものです。イエス様が人間にベツレヘムの馬小屋でお生まれになった事は、神様がどのようなお方でおられるのかを明らかにするためでした。海や空や宇宙をお造りになった神様の偉大さは、偏見を捨てたら、誰にでも明らかです。しかし、暗闇、戦争、死、重荷のくびきを背負うっている私達人間に、神様の愛が決して分かりきった事ではありません。イエス様は私たちを罪や死や悪魔の支配から解放するために人間になられました。私達の身代わりに十字架の上で死んで下さって、三日目に復活した事で神様の愛が始めて分かります。
不思議な助言者
将来への道が分からない、暗い現実の中に生きている、死に向かって意味のない毎日を繰り返している私達に光が与えられました。主ご自身が私達と共に歩まれます。一歩一歩をそのみ言葉(聖書)の光で照らして、不思議な助言者として私達を案内して下さいます。いのちへの明るい道が開かれました。私達を正しい方向に導いて下さいます。
力ある神
共に歩まれるイエス・キリスト様は私達の罪を赦すだけではなく、罪の力から開放して下さいます。自分が弱くても、主が私達のすぐ傍に、神様にも人に仕えるため、新しい力を注いで下さいます。不可能な事を可能にして下さいます。その力は私達の力ではなく、イエス・キリスト様の力です。勇気と希望と確信の力です。自分に対する自信ではなく、相手でおられるイエス・キリスト様に対する確信の力です。
永遠の父
クリスマスの喜びは永遠の父でおられるイエス・キリスト様に何もかも自由に語り合える事です。私たちが何でも話す事が出来ますし、イエス様もその心を私たちに分かち合って下さいます。父のように支えて、理解して、助けて下さいます。現実がいくら厳しく見えても、悲しみの中にも主の交わりが心を照らして、永遠の父として私達をみ国の栄光の中まで守って導いて下さいます。
平和の君
今は未だ戦争や争いが後を絶ちません。ですから、クリスマスの預言の最終的な成就はイエス・キリスト様の再臨の時です。しかし、今も深い心の平安を味わう事が出来ます。なぜなら、平和の君イエス・キリスト様が友として傍に歩んで下さいます。平安は気持ちの問題ではなく、誰が私たちと一緒にいるかによります。周りが真っ暗であっても、全てを創造して、死に打ち勝った主が共におられると心配する必要がありません。主の交わりに平和があります。主が私達の手を握っていると、私達の敵は何も出来ません。永遠の命を私達から奪い去る事の出来るものがありません。
この「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」でおられるイエス・キリスト様を心に受け入れるのは本当のクリスマスです。そのようなクリスマスの喜びをあなたとあなたの愛する方々にお祈り致します。