イエス様がこの世に初めのクリスマスに生まれたのは人々に平安を与えるためでした。しかしその平安がこの世のものと違います。一般の人々は健康、よい人間関係、成功、経済的な裕福、社会の安全などから平安を求めます。それらは皆良いものであっても、心の深い所に平安をもたらせません。イエス様が約束する平安はこれらのよいものを失っても続く本物の安心です。それは全知全能の神様、すべての万物の創造主との平和に基づきます。
人間と神様の関係を戦争状態にするのは私たちの罪、不信仰、神様に背を向けた自分勝手な生き方です。しかし、神様はこのような私たちを愛し続けておられて、私たちの罪の責任を御子イエス様に背負わせて、その罰を十字架の死によってす償わせて下さって、イエス様の十字架の血潮によって私たちの罪を赦して、ずっと有効な平和条約を結んで下さいました。
神様に向かって祈りの中に罪を認めて、赦しを求める人は誰でも赦されて、心に状況によらない平安が与えられます。しかし、それは戦いのない生き方をする意味ではありません。色々の困難の中にも主イエス様が何時も共におられて、イエス様の存在に平安をかけていく生き方です。主と共に歩むところに人に対する愛も生まれます。その代表的な実例は12月の初めにアフガニスタンで殉教された中村哲医師です。彼はイエス様に出会って、最も大変な所に生きている人々を身をもって愛し続けました。それを可能にしたのは主が与えられた平安でした。
もう一つの実例は2008年天に75才で召された岩井静子さんの証しです。その中の一部を引用致します。彼女は岩井従男先生と結婚して、4人の子供を育てて、牧師婦人として教会に奉仕しました。
「私の育てられた家庭はクリスチヤンホームではありましたが、いろいろの試練の中で苦しい生活をしておりました。戦中戦後の貧しい生活、そのうえ父は、小学校の校長をしている時に校舎が全焼し(その責任を問われ、職を追われたという意味です。昔は、御真影なんて言っていたんですけれども、御真影は守った。そういう事もあったようであります)、その後、膵臓壊死という大病にかかりました。 また、母はカリエスで苦しみ、すぐ下の弟は体育の時間にラグビーをしていて脳内出血をし、その後頭痛に悩まされました。もう一人の弟は小さい時に大やけどをし、中の弟も沢山の借金の返済に親の力を借りねばならず、両親は田舎の生活では工面がつかず、上京して働いて返済するようになりました。
娘の頃の私は、「神様を信じて来た父母が、どうしてこんなに次々と苦しい所を通らされるのだろうか。神が愛ならばこんな事をなさるはずはない」と父に質問した事があります。その時父は、「神様は私たちの心を清めるために取り扱いなさるのだよ。トンネルの中を通される時は苦しかったり、悲しかったり、辛かったりするけど、神様は祝福を与えて下さる。神様は愛しかなさらないのだよ」と話してくれました。 父母はその試練の中を守られ、私に、神のなさる事は本当にすばらしい。すべての事を益にして下さるのだとはっきり信ずる者として下さいました。
父は七十歳を超えて牧師となり、感謝しつつ八十八歳の時、天に帰りました。弟も頭痛がいやされて、今はカナダの宣教師として奉仕をし、やけどの弟もいやされて牧師として奉仕をしています。 「私はあなたを助ける」とおっしやる神様は、小さい家庭をも助け祝福して下さいました。今日まで守り助けて下さった神様は、これからも信じ従ってゆく者を必ず守って下さると信じております。
「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう」(詩篇50:15)。私の聖書の中にはこの御言葉のしおりが、今もはさまれています。
若い牧師の任命