神様の御子が初めのクリスマスに小さな赤ん坊として
人間になられた時に、その母マリアとその育ての父ヨセフは嬰児に口づけを何回もしたでしょう。その小さくて可愛い足にもキッスしたでしょう。宇宙の創造主
である神様は本当の人に成られました。神の御子に怖れを抱かなくても近づくことが出来ました。
イエス様が大人になっ
て、公の活動の中に、ある罪深い生活を過ごした女性がイエス様のメッセージを聞いて、その罪が赦された喜びでイエス様が食事をした家に突入して、イエス様
の足元に来て、イエス様の足の埃を感謝の涙で洗ってから、その足に口ずけを繰り返しました. それを見たイエス様はこう言われました:
「この人を見ましたか。彼女は涙でわたしの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐってくれました。
彼女は、わたしが入って来たときから、わたしの足に口づけしてやめませんでした。
彼女は、わたしの足に香油を塗ってくれました。ですから、わたしはあなたに言います。この人
は多くの罪を赦されています。彼女は多く愛したのですからです。」(ルカ7:46〜47)
この箇所を読むと、私
がイエス様の足元に近寄って、その足に口づけしたいと思いました。その足の踵を大きな釘が通って十字架にその御足をつけられました。その十字架の傷に私の
救いのしるしがあります。「主よ、その苦しみは私の罪の赦されるための贖いの代価です。主よ、あなたを褒めたたえます。」
高齢のヨハネは栄光の
イエス様の姿が見せられた時に、彼はその足もとに倒れ込んだ。
私は、振り向くと、人の子のような方が見えた。その方は、その足は、炉で精錬された、光り輝
く真鍮のようで、口から鋭い両刃の剣が出ていて、顔は強く照り輝く太陽のようであった。この方を見たとき、私は死んだ者のように、その足もとに倒れ込んだ。すると、その方は私の上に右手を置いて言われた。「恐
れることはない。わたしは初めであり、終わりであり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、世々限りなく生きている。また、死とよみの鍵を持って
いる。(黙示録1:12〜18)
私もヨハネと一緒に同
じ恵みの言葉を主イエス様から頂きました。「私イエスはあなたの罪の代価を十字架の上で払いました。安心してあなたの罪が赦されました。」
今年のクリスマスに十
字架で苦しんだが、今栄光の中に支配しておられるイエス様の足に口づけをしましょう。そうしなかったら、私たちはその敵の中に留まります。父なる神様は御
子イエス様にこう約束なさいました:「あなたは、わたしの右の座に着いていなさ
い。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで」。(へブル1:13)
イエス様の十字架の贖
を頼りにして、イエス様の足に口づけをする救われた人を天の御国で大きクリスマスお祝いが待っています。それこそ本物の幸いです。
受洗の喜びと恵み 小林恵子
高校生の時、学校の近くの教会から時々聞こえてくる讃
美歌を歌う声に、何故か心が安らいだ思い出があります。結婚をして長女が生まれた時、病院の近くの教会の方達がお花をもって患者さん一人一人を見舞って下
さった事があります。教会活動のひとつとしての病院訪問だったそうです。初めての子の誕生という喜びの中で出会ったこの方達がとても清々しく印象に残りま
した。
数年後、神様の導きの
中、この東福山ルーテル教会の近くに住む事になりました。そして、イースターや映画会等で、少しずつ教会につながるようになりました。
娘が大学受験の年、体
調を崩し、入退院を繰り返し、信じるものを持たないが故に、肉体的にも精神的にも苦しみ悩みました。この年は主人が、翌年には長女が、主の導きと赦しによ
り受洗致しました。しかし、いまだ神様に対して、心を開く事の出来なかった私は、自我という固い殼の中に心を閉じたままでした。
こんな私にも神様は救
いの備えをして下さいました。教職の先生方との出会いにより、自分の心のわだかまりをお話する事で、私は自分の罪と向かい合い、罪の深さを知りました。そ
して、神様に赦して助けていただかなければ生きていけない、愚かで弱い自分を見ました。このような私を、神様は無条件でそのまま受入れて下さいました。
受洗式の感激は忘れま
せん。受洗後の数ケ月間、本当に何もかもが活き活きと美しく見え、感じられました。神様により造られた全てのもの、特にとるに足らない自分さえ、神様が愛
して生かして下さっていると思うと嬉しくてたまりませんでした。
私にとって大きな恵み
は、第一に神様からの平安の中で生かされている事、第二は神様につながる事によって素晴らしい賜物をもった多くの兄弟姉妹を与えられたという事です。
私の願いをはるかに超
えた神様の御業にただ感謝の日々です。誠に主の大いなる憐れみにより、救われた恵みを心から感謝します。(東福山教会の15年記念雑誌から、1993年)
Espoo Kotikirkko エスポー家庭教会
この秋はコロナが又フィンランドで大変悪い状態になったにも関わらず、エスポー家庭教会は礼拝をレストランで守る事ができ
ました。月に一回ぐらい使徒の働きについて説教をしてきました。礼拝出席は大分増えて来ました。今は子どもを含めて45名ぐらいになりました。
礼拝の後で駅の近くで毎日曜日路傍伝道をしています。この前の日曜日は氷点下15℃の寒さでクリスマスの賛美とメッセージ
をしました。歌も話もフィンランド語の他に英語でもしています。通りかかる人の三分の一は海外から来た人々ですから。
祈り会と聖書研究会は依然としてインタアーネットでやっています。遠方に住んでいる私たちに恵みです。教会はこれから新し
い集まる場所を借りる事に決めています。小さい教会にとってかなりのチャレンジですが、それで週日も色々の活動が出来るためです。
ミッションの働き
FLMの本部の聖書学院で時には教えたりする事があります。この秋に海外短期派遣講座で日本の宣教の実態と宗教的な背後につ
いて講義をしました。 ワクチン接種は日本と同じぐらいですから、あちらこちらで集会が開かれるようになったから、幾つかの町の教会の集会に伝道に行けま
した。
日本との繋がりは依然としてメール、手紙、Skypeなどで続いています。今年は時々You
Tubeにメッセージも載せました。
家族ニュース
5月に家内は左の足首の骨折を起こして、それはやっとほぼ完全に治りましたが、秋には血圧の問題が出ました。それはいまだに
原因不明ですが、大体一日おきに起こります。幸いに家内が80歳の誕生日を祝う日に調子が良かったのです。家族の29名を含めて友達が合わせて70名集ま
りました。とても明るい集会で、神様に対する感謝で一杯でした。
あなたの友情を心から感謝致します。主の祝福をお祈りいたします。