私をこの教会に導いてくれたのは、2年前ポストに入っていた姜先生の韓国語講座の一枚のチラシでした。
その1年前にすでに教会はこの場所にありましたが、近くに住みながらもその存在には気付きませんでした。
私は、もう5年前になりますが、心臓の血管が裂けて大きな手術を受けています。急な手術で、30分手術するのが遅かったら、おそらく命は無かっただろうと後で間きました。また、術後すぐに家族は、命は助かったもののおそらく後遺症が残り、半身マヒなどの可能性が高いと医師より告げられたそうです。
でも幸いにも、大きな後遺症も無く普通の生活が送れるようになりました。
救急車で病院に運ばれた時は、あまりにたくさんの偶然が重なり、九死に一生を得ましたが、その時神様が助けて下さった、人間よりも大きな上の存在である神様がいらっしやるのだろうと、漠然ですが思わずにはいられませんでした。
でもそういう思いは持っていても、韓国語の授業の後でお聞きする神様の話は信じられずまた自分が罪ある人間だと言う事には実感がありませんでした。
その後に、X'mas礼拝に参加したり、姜先生より聖書を頂いたりしているうちに、夫が教会の礼拝に興味を持ち、行って見たいと言った事がきっかけで、家族で社拝に参加するようになりました。昨年2月頃の事です。でも、その頃もまだ神様を完全に信じていたわけではありません。
礼拝に参加する様になり、西村さんがご自分が読まれたたくさんのキリスト教に関する本を貸して下さったり、ピヒカラ先生からも色々とお借りして読み進めていくうちに藤井圭子さんの証が書かれた本を読んでいる時の事でした。
初めに、パラパラとめくって読んだ時に、イエス様を信じた翌日に自分の心が変わっていたと言う箇所が目に留まりました。 私は、そんな事があるはずが無いと、その時にはそう思いました。ところが、最初から読んで行った時に、自分自身にも同じ事が起きました。
私の心はまだまだ罪深く、毎日が悔い改めの日々ですが、それでも神様は私の心を少しづつ変えて行って下さっている事を感じています。ここ一年間、とても辛い事が多く何度神様助けて下さいと祈ったか知れません。
未だ、息子の病も好転せず、何度も心が折れそうになりました。
辛い中にあっても神様に祈り続けられる事、また私達親子の為に祈って下さっている方々の事を考えると、神様がこの教会に導いて下さった事は、私にとって大きなお恵めであると確信出来ます。