Jorma & Lea  Pihkala
J.&L.ピヒカラ
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2013年7月15日


暑中お見舞い申し上げます。

  日本の梅雨明けの猛暑の中でいかがでしょうか。こちらフィンランドはとてもよい夏に恵まれています。

  日本で始めて教会を訪れる多くの方々に何か未解決の問題があって、その解決を求めているでしょう。亀山玲子様も例外ではありませんでした。5月20日に蒜山福音ルーテル教会でMikko Goes to Heaven バンドのコンサートで彼女に出会って、その証しを聞きました。日本では色々の宗教とカルト的な異端の中に巻き込まれた人やその家族の痛みを生々しく描写しながら、本当の助けは何処から来るかとも伝えます。本人の許可で引用させて頂きます。

イエス様との出会い

 1995年8月8日に東京で働いている娘から電話がありました。「私は今月23日に合同結婚式のためソウルへ行きます。すみませんが、結婚資金としてお金を下さい。祝福費用に140万円、旅費その他に30万、合計170万円大至急送って下さい」。

 その時から私たち夫婦の苦悩が始まりました。

 暗闇に突き落とされたような、訳の分からない恐怖で一杯でした。テレビでよく知っている統一協会でしたが、まさか自分達もテレビで泣き叫んでいる親と同じ境遇になろうとは思ってもみませんでした。私とは無関係の遠いテレビの世界だと思っていたのです。

 説得牧師を知り、脱会へ向けての準備が始まりました。一度は失敗に終わり、更に二度目の説得へと挑戦しましたが、二度も逃げられてしまいました。

 私はなす術もなく、毎日空しく、眠る事も、食べることもできないような絶望の底へと落下していくようでした。暗い暗い闇の中にズンズンと落ちていく自分の姿が寝ても覚めても脳裏の中に映像として流れてきました。そのような時、統一協会脱会又母の会の副会長さんがいつも言われていた言葉を思い出し、神様にお願いしようと思い、蒜山ひかり保育園の園長先生に「祈ることを教えて下さい」とお願いしました。園長先生はバッケ先生とおっしゃいました。その日から聖書の学びが始まり、教会へも礼拝に出席するようになりました。

 それから三年後のある日、礼拝の時賛美歌525番「恵み深き主のほかだれが我をなぐさめん…」歌うときに、主のなぐさめ歌詞に涙がポロポロポロポロこぼれ、なかなかとまりませんでした。私は礼拝後に宿野先生の前に立ち、「洗礼を授けて下さい」と言っていました。この時が賛美歌の中でイエス様と出逢えた瞬間だったのではないでしょうか。自分の思いではなく、自然に動いた私です。1999年12月26日に受洗しました。

 娘との隔たりは前進はなく、後退もなく、平行線にたどっていました。そのような娘も、1997年2月24日に韓国へ行きました。韓国で半年間韓国文化・料理を学び、結婚費用を親が出さないので働き、それで支払ったと言っていましたが、娘がいなくなった東京の貸金融から高額の請求の電話が頻繁にありました。ほとんどヤクザのような脅しでした。牧師先生に相談すると「ほっときなさい。支払ってはいけません。支払ったら又次の大きな負債が請求されるでしょう。そこが統一協会のねらいです。」と言われました。私たちは先生の教えを守ろうとしましたが、一件だけ金融員に泣きつかれ、毎日の電話に主人が負けてしまい、30万円支払いました。それは統一協会関係とは違ったのか、それより電話がありませんでした。

 韓国へ行って半年後、8月に合同結婚の相手の農家の長男と結婚式をあげたのです。順調な結婚生活の中に、長男、次男と二人の男の子に恵まれました。次男の一才の誕生祝いの後で、私も友達に韓国まで連れて行ってもらい、ソウルからは韓国のクリスチャンでいらっしゃるリーサレ先生に娘の家まで連れて行ってもらいました。山の中の山、石ごろ道の貧しい農家でした。

 娘の夫は2005年11月に農作業中作業機に巻き込まれて即死しました。娘はかたくなに日本へ帰る事を拒み、一人で農業をやり続けています。韓国の親は現在義父87才、義母82才です。娘の長男は中学2年、次男は小学5年生です。

 2010年1月3日に、突然息子が首つり自殺をしました。
 息子にも色々悩みがあったようには思っていましたが、まさか自殺をするなどとは考えることなどできませんでした。この時に息子の長男は小学6年、次男は小学2年、長女は幼稚園年長組でした。息子の死の苦しさは娘の時の絶望感とは違い、いいようのない悲しさであり、底知れぬ恐怖感であり、腹わたがちぎれるような、そして心が凍りつくような痛さでした。

 一人でいることができないので、いつも主人の側に引っ付いていました。

 1月7日に朝、牛舎で搾乳をしっている時、ふと気づいたら、賛美歌436番「十字架の血に救いあれば…」と口づさんでいる自分がいました。そう思ったとたん、頭の中に真赤な場面が現れ、イエス様の十字架の姿を想い浮かべました。そして聖書にあるように、神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた場面が現れました。そのとたん、私は我にかえりました。私の心はとても平安に満たされていました。真暗闇の私の心に青空が広がったように、それまでの恐怖心、心の痛み等々が、吹き飛んでいました。その時電話が鳴りました。トータルカウンセリングの青木福代先生からでした。私は今、この時起こった不思議な体験を話しました。すると先生は「亀山さん、それはイエス様のみ業です。あなたの息子さんは一粒の麦となられたのです」と慰め励ましてくださいました。この事が第二のイエス様との出逢いであったと、今でもその時頭に浮かんだ映像を思い出します。イエス様の愛により落ち込むことなく元気に生活できるようになりました。

 息子の死におり、もう二度と帰ってくることはないと思っていた娘が2人の孫を連れて息子の墓参りに帰ってきました。「たとえ、お父さん、お母さんが死んだとしても絶対に蒜山には帰らない。もし又拉致監禁されたら私は徹底して親が信じられなくなる」と言っていた娘が帰ってきたのです。

 娘の声を聞こうとも、手紙を読もうともしなかった夫の心が変わり、米子空港へ娘親子を迎えに行って、帰ってきた時にはすっかり孫になつかれて、冷ややかな心が穏やかになって、娘ともよく話をしていました。

 その時ルカ書15章32節の放蕩息子の父親の言葉が思い出されました。「だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。」

 娘は2010年、2011年と続けて帰ってきました。少しは娘との距離が縮まったのかなとも思える今日この頃です。娘の事も自分の力ではなく、神様にゆだねて、ひたすらにお願いし祈るばかりです。

 粉々に砕かれてしまってもしがたのなかった、弱い私を生かして下さったのはただただ主の恵みなのです。主よ、感謝します。アーメン。

 

ハンナ・ゴスペルのフィンランド訪問

 東福山福音ルーテル教会のハンナ・ゴスペルは4月の終わりに二回目のフィンランド・ツアーに7名で来られて、10日間10のコンサートを開いて下さいました。南フィンランドのあちらこちらを歩き回って、素敵な歌声で日本の伝統的な歌、賛美歌、黒人霊歌などを演奏して下さいました。聞いている人々から大きな歓声を受けました。その後又ノルウェーでもコンサートツアーを続けていました。コンサートの中に渡部光子さんはクリスチャンになった道の証しもなさいました。家内の母の96歳の誕生日にハンナゴスペルの皆様は彼女の家を訪れて素敵な歌のプレゼントを提供して、母は凄く感銘を受けました。大いに感謝致します。

 阿南福音ルーテル教会の高力義博先生もハンナゴスペルと一緒に行動するために彼らより2日前にフィンランドに着きましたが、残念ながらミッションの本部の近くの道路で車にはねられて、首の捻挫を受けて、すぐ日本に戻らなければなりませんでした。今も後遺症で悩んでいらっしゃいますから、癒しをお祈り致しましょう。

 

母の日の褒賞

 5月12日に家内はフィンランド政府主催の式典にフィンランドの大統領から褒賞を34人の受賞者と一緒に頂きました。7人の子供、二人の障碍者を育て、支えながら、30年間日本で働いた事が評価されたからです。家内は着物を着て出席して、私たちを40年も支えて下さった支援者のミッションフレンドの事をも代表して賞を受けました。嬉しいひと時でした。

 

Mikko Goes to Heaven の5回目の来日ツアー

 5月の後半にMGtHバンドと一緒に運転手、通訳者、マネジャー、洗濯洗いとして西日本を歩き回る事はとても嬉しくて楽しい経験でした。HAT神戸、鳥取、八束小学校、蒜山、松江、米子、上郡、赤穂、東岡山、東福山、六甲アイランド、西宮南、農愛高校、桔梗が丘、青葉園、東姫路、柳幼稚園、阿南、徳島改革派、淡路、東徳島、西須磨の皆様に心から感謝致します。素晴らしい交わり、おもてなし、主を賛美する恵みをご一緒に経験させた頂きました。

 2週間で23コンサートはとても厳しいスケジュールでしたが、教会のコンサートにやく1000人、幼稚園、小学校、高校、大学で合わせて600人にコンサートが出来て感謝しています。すべてのコンサートに教会に始めての方々が見えて、又コンサートの後で続けて教会に通う方々もいらっさる事を喜んでいます。

 バンドの新しい「奇跡」と言うCDとフオビネンご夫妻の「3L」と言うCDも合わせて500枚売れて、聞いている方々から「心を癒す」音楽と言う反応が出ているから、続けてそのCDを西宮南福音ルーテル教会から注文できます。(〒662-0927 西宮市久保町11-17、 0798-34-2119、lauri.palmu@sekl.fi)。

 皆様のご献金のお陰でツアーのすべての必要が満たされて、バンドがフィンランドで日本ツアーのために集めたお金30万円ほど淡路福音ルーテル教会の新会堂の建設のために捧げる事が出来ました。

 

淡路福音ルーテル教会での奉仕

 MGtHツアーの後で一週間洲本で淡路教会の活動に参加して、教会の皆さんに会って、皆さんの名前を覚えようとしました。ヌンメラ先生ご夫妻から引き続きを受けました。ヌンメラ先生達は7月から来年の3月まで休暇でフィンランドにいますから、私は8月29日に来日して、来年の3月一杯淡路教会の牧会伝道に任命されました。家内は96歳の母の世話のために11月と12月だけ来日します。

 淡路教会は今新会堂の建築の最中ですから、その進み具合を見守る機会も与えられています。淡路教会の皆様の中に建築関係の専門家がいますから、心強いです。

 教会の皆様と特に求道中の方々を祈りの中に覚えて頂きたいのです。

 

ミッションの大会

 7月の始めにカンカーンパーと言う小さな町に1万人のミッションフレンドが集まって、三日の大会がありました。その中に新しい6人の宣教師達が祝祷で任命されて、又改めて任地に戻る宣教師達が祝福されました。私と家内もその中にいました。大会の中に多くの素晴らしいメッセージがあって、又多くの愛する方々に会えるチャンスもありました。

 

主のみ許に召された青戸栄作先生

 今日は福山から敬愛する青戸栄作先生が83歳で天に召された知らせが届きました。東福山教会で奉仕をしていた時に大変お世話になった事を心から主に感謝しています。硬い聖書信仰にたって、長い牧会生涯を通して得た知恵と教えを与えて、最後までみ言葉を伝えて下さいました。素晴らしいご家庭に支えたれて、病気と闘いながら、教会の宝のような存在でした。特にローマ人への手紙の解釈やカウンセリングの学びの時が私と教会の皆様に大きな恵みを与え下さいました。前者のレジュメは次のリンクから読めます。

    http://www.pihkala.net/Message/AotoRoomRezume.htm  

 もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。 キリストは、死んだ人にとっても、生きている人にとっても、その主となるために、死んで、また生きられたのです。(ローマ14:8~9)

何時もお祈りの中に覚えて頂いて心から感謝致します。

暑い中に主の豊かな御祝福を皆様の上に心からお祈り致します。

J. & L. ピヒカラ