Jorma & Lea Pihkala
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2019の夏


 暑中お見舞い申し上げます。

キリストは、自由を得させるために私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは堅く立って、再び奴隷のくびきを負わされないようにしなさ い。。。 兄弟たち。あなたがたは自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕え合いなさい。(ガラテヤ 5:1,13)

  家内と一緒にルマニアへヨーロッパのキリスト者の集いに行って来ました。大体220名の日本人キリスト者が集めっていました。沢山のみ言葉の説き明かしと 交わりに預かりました。集いのテーマは「解放された者として生きる」でした。ちょうどルマニアが共産政権から解放されて30年と言う事もあって、キリスト を信じて多くのキリスト者が殉教さてた事も色々の方面から考えました。資本主義の自由は本当の幸福をもたらせるかと思うとそうでもありません。

  マルテン・ルターはその著書『キリスト者の自由』の冒頭で次のように述べました。 「キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な主人であって、誰にも服しない。キリスト者はすべてのものに仕える僕であって、誰にでも服する。」

  この二つの文章は全く矛盾するように見えますが、主イエス。キリスト様の十字架の愛によって罪赦され、神様の子供とされたキリスト者の姿そのものを的確に 描写しています。聖書の自由という概念と世界的にフランス革命以来主流になった人間中心主義(ヒューマニズム)の自由概念は基本的に違っています。後者は 人間をあらゆる外面的な束縛から解放して、自分の欲しい事を実施できる状態を指します。経済的にも、文化的にも、政治的にも、社会的にも、自立して、独立 になって、自分の夢を制限なしに行える状態を自由と言います。しかし、聖書的に言えば、その「自由」は何の自由でもなく、自分の中にある欲望や好き勝手な 感情の奴隷状態に過ぎません。いやもっとも酷い自分の中に住み着いている肉(神様から離れた罪深い性質)の奴隷状態です。極端なところではこの「自由」は 人間を他の人の束縛からだけではなく、神様との関係からも解放しようとします。その結果として皮肉な事には悪魔の奴隷になってしまいます。

 聖書が謳っている自由はこの現代的な迷いの正反対と言っても言い過ぎではないのです。本当の自由は物理的な制限や社会的な束縛などから解放する必要はあ りません。神様が与えて下さる自由は心の中に住み着いている罪からの自由です。それは何々からの自由より何々への自由です。神様の御言葉が心の鎖を真理の 力で明るみに出して、イエス・キリスト様の十字架の愛の力で解放されて、罪赦されて、神様との関係が回復して、初めて人々や外面的な環境の制限の中にあっ ても神様との交わりの自由を経験して、外面的な束縛を越えて、人に対する愛の奉仕が可能になります。

 ある時に何人かのキリスト者と一緒に刑務所伝道に行って、グループの一人はその前に刑務所から釈放されたばかりでした。囚人としていた時にイエス・キリ スト様に出会って、救われたと言う事でした。彼は次のように証ししました:「イエス・キリスト様は刑務所の中で私を自由にしました。ここで救われました。 釈放されて今は二重に自由です。」 彼は刑務所の中に神様のみ前で罪を告白したそうです。自分が神様に背を向けて、自分勝手な生き方で来た事を正直に彼を 創造なさった神様に向かって告白して、赦しを願ったそうです。その求めに対して神様は聖書のみ言葉を通してこう答えられたそうです:「私の愛する御子イエ ス様はあなたのすべての罪の処罰をあなたに代わって十字架の上に受けましたから、あなたの罪の借金は払い済みです。あなたを赦しました。安心して、私と一 緒に歩んで下さい。」 その時に彼の自由が始まりました。それは刑務所の中での心の自由でした。それは一方的な神様の恵みと愛によるプレゼントでした。釈 放されてから彼はその本当の自由を多くの方々に語りだしました。主の愛は彼の心で働きだしたからです。

 神様からの自由を得るために何の頑張りも要りません。ただ神様のみ前で正直に自分の奴隷状態を認めて、イエス様の十字架による赦しを願い求めるだけで す。「主のみ名を求めるものは誰でも救われます」と聖書は約束します。罪の赦しを頂く事は死への恐れからも私たちを解放します。なぜかと言うと、死後の裁 きの時に「あなたのすべての罪が支払い済み」と言う証明書を持っているからです。もしあなたがまだこの自由に預かっていないならば、是非罪の告白の祈りの 中に主イエス・キリスト様のみ名を求めなさい。イエス様はあなたを愛しておられるからです。

  ヨーロッパのキリスト者の集いの中に、賜物として頂いた自由を保つためにキリスト者の群れの中に入る事はとても大切だと強調されました。良い羊飼いでおら れるイエス様はキリスト者を群れの中に牧会して、守って、繰り返して罪から解放して下さいますから。詩篇23篇の約束の通りに主は死の影の谷を通る時にも その者を守って、永遠の宴会まで連れて下さいます。キリスト者の自由はイエス様と共におられる恵みによるからです。  

 

Espoo Kotikirkkoとミッションの奉仕

 今年の初めからEspoon Kotikirkko(エスポーの家庭教会)のメンターを降りて、月に一回程度メッセージの奉仕を続けています。少しづつ群れが増えて、またその若い牧会 者たちはとてもよい働きをしています。路傍伝道をしたり、ファミリーキャンプや男の子たちのキャンプでも奉仕を家内と一緒に続けて参りました。去年に続い て二人の赤ちゃんも教会の家族に加わりました。

  ミッションの奉仕で聖書学院で教えたり、ルーテル教会の地方教会の説教の奉仕に行ったりして、又日本伝道のビゾンを語るチャンスもあります。ミッションの 毎年の大会が本部で行われて、1万4千人ぐらい集まりました。日本での宣教師の数が色々な事情で減って来ましたが、幸いに今行われている海外伝道講座で二 つの日本行き家族が9人の宣教師候補者の中に学んでいます。それにHAT神戸教会の伝道にベテラン宣教師カリオイネン先生ご夫妻(ユッカ先生とヘエナ先生)が8月の後半に派遣されます。以前長い間阿南教会と淡路教会で働いて、ミッションの副総主事も務めていて定年退職しましたが、今日本伝道に戻る優れた働き人です。

 25年間日本で宣教師として働いたバルカマ先生の奥様ピルッコ先生が5月に末期の癌のため大きな手術を受けて、治療中ですが、その中にも力の許す限りみ言葉を教えています。彼女を見舞うために東徳島教会の幸野美保さんが短いフィンランド訪問に来て、多くのピルッコ先生を愛している方々の代表者でした。家にもよって下さって、よき交わりが出来ました。

 フィンランドのO.V.M.C.教会の交わりにも時々預からせて頂いています。フィンランドに住んでいる日本語を話す方々の為に働いている小さな群れですが、伝道のビゾンと愛に満ちている教会です。

イスルン物語と新約聖書の学びの質問集

  クリスマスごろから始まった「イスルン物語」のフィンランド語翻訳が6月に一先ず出来上がりましたが、今色々の人によって訂正読みの最中です。出来れば秋 に出版する予定です。このファンタシー小説は主に弟子ペテロの目から見たイエス様の物語です。他の弟子たちの背後や信じる戦いも興味深く描く本です。是非 Amazonから手に入れて読んで頂きたいのです。 https://jeshurun.net

 新約聖書の諸本の学びの質問を続けて書いています。個人的な聖書の学びや聖書研究会で用いて頂いたら幸いです。 http://www.pihkala.net/ManabinoshitsumonJP/IndexShitsumonJp.htm

家族ニュース

 西宮南教会で働いているパルム家族(ラウリ、朝子と子供3人)はもう13年間日本伝道で励んでいます。この夏何人かの元宣教師たちの子供が大津市にある元フィンランド学校に集まって、昔の学校生活をその子供たちに見せてくれました。

 

 他の子供と孫たちは元気です。家内と私も年の割に元気です。昔ほどの力がありませんが、与えられた日々を主の為に過ごしたいのです。

暑い中で皆様のご健康が保たれるように主にお祈り致します。

皆様の祈りに支えられています。主に感謝します。

J. & L.  ピヒカラ