L.&J.ピヒカラ

東福山福音ルーテル教会
721-0913 福山市幕山台8-13-10
Tel.0849-47-6602 (827日から)

http://www.pihkala.net

 


2003
年元旦

あけましておめでとうございます

 
  「この月をあなたがたの月の始まりとし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ。この月の十日に、おのおのその父祖の家ごとに、羊一頭を、すなわち、家族ごとに羊一頭を用意しなさい。この月の十四日、夕暮れにそれをほふり、その血を取り、羊を食べる家々の二本の門柱と、かもいに、それをつける。わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。わたしがエジプトの地を打つとき、あなたがたには滅びのわざわいは起こらない。この日は、主への祭りとして祝わなければならない。」(出エジプト記12:2〜14の抜粋)

年の初め

 日本にちょうど30年前に初めて来た時は正月の前でした。一年の一番寒い時期を新春と言われた事を不思議に思いました。又殆どの家の玄関に飾ってあった注連縄(しめ縄)の意味はなんだろうかとも考えた覚えがあります。



 何年か後で台湾を訪れる機会があって、それはたまたま旧正月の時に当たりました。(2月の終わりごろでした。)やはり台湾はその時に田植えの時期で、まさに新春でした。それだけはなく、中国の習慣に従って、ほぼ全ての家の入り口に真っ赤な布がかもいにつけていたではないかと驚きました。赤は当然お祝いの色で、しめ縄でみかんがその色の代わりでしょう。日本と中国が同じ文化圏に属する事を実感致しました。

 しかし、それよりも上記の出エジプトの箇所を思い出して、益々驚きました。イスラエル人の年の始まりはやはり旧正月頃でした。それに初めの月の14日と15日の間の夜は過ぎ越しの祭りです。(日本の小正月に当たります。)かもいにつけられる血の赤とお祝いの赤は関係がないはずはありません。もしかして、日本の正月の由来も出エジプトの出来事と深い関わりがあるかもしれません。

 いずれにいたしましても、上記の箇所は私たちにとって大切な事を語っています。新しい年の初めを恐れで迎えるのではなく、お祝いで迎えるべきです。この新しい年にどんな事が起こるか分からないで、心配しがちな私たちに神様は安心出来る場所を提供して下さるからです。

 その安心できる場は今年恐ろしい事が起こらないと言う楽観主義的な自己だましのようなものではありません。実際神様のみ怒りを招いたエジプトにとってイスラエルの開放の時は恐ろしい裁きの時になりました。

 しかし、子羊の血で塗られた門柱とかもいの家の中にいたイスラエル人に神様の裁きはありませんでした。イスラエル人が特にいい人々だったから、裁きが過ぎ去った訳ではありませんでした。神様が定めて下さった安全な場にいたからです。神様のみ言葉を信じ、受け入れて、従った所は安心できる場でした。神様が定めて下さった子羊の血は救いの場でした。

 1400年後でイエス・キリスト様はその過ぎ越しの祭りの最も深い意味を示して下さいました。人々が奉げた子羊よりも神様ご自身が奉げられた子羊はイエス・キリスト御自身です。イエス様の十字架の上で奉げられた血潮と御体は新しい年に入った私たちにとって安心できる場です。この世の中にどんな恐ろしい事が起こっても、主イエス・キリストの十字架の血によって罪赦された人は安心できるだけではなく、心からお祝いして新しい年を迎える事が出来ます。どんな事が起こっても、神様に愛されて、永遠の救いの持ち主として新しい年に進む事が許させます。


 イエス・キリストの十字架の許で罪を認めて、全ての罪が赦された者には今年も恵みの年、主の祝福された年になります。たとい、今年の終わりをこの地上でもう見る事が出来なくても、主の永遠の新春に、天国に行ける確信もイエス様の十字架の真っ赤なしめ縄で囲まれた心にずっと保たれます。

 キリスト教の専門用語で言えば、救われた人の安心できる場は「神様に義と認められた」事です。「義」と言う字は不思議です。「羊の下にいる我」と言うのは十字架で私たちの罪の為に苦しんで、血潮を流して下さった、神の子羊でおられるイエス・キリストの下に罪が赦された人は義がプレセントされて、安心出来きる場にずっと置かれています。その事を感謝して、お祝いするから新しい年のスタートをきりましょう。
ですから、「この日は、主への祭りとして祝わなければならない。」


東福山教会の伝道に

   8月の終わりにフィンランドの4〜5ヶ月の伝道の後東福山ルーテル教会に着いて、新しい環境で、伝道に着任しました。大きな団地の新しくて広い教会は若々しくて、活発な群れです。とてもやり手である子安先生の後で家内と二人であっても活動のレベルを保つのは厳しかったですが、やっと何とか慣れてまいりました。

 東福山教会の特徴はとにかく聖書をよく学ぼうとする姿勢です。礼拝の後のみことばタイムの他に聖書のメッセージを分かち合う週日の集会は何と4回もあって、その他に婦人会も、青年会も、ジークラブと言う名前の教会学校もあって、中途半端の準備で満足しない教会です。幸いに2年前に定年退職した青戸栄作先生が月に一回説教をして、週に一回の聖書の学び会を担当して下さって、助かっています。


 教会のしもべ会(役員会)の皆さんと信徒の皆様は活発で、自発的に色々の働きをして下さる事も不慣れで、又色々の失敗を繰り返す私たちにとって大きな励ましです。

 教会の周りの団地はとても開かれた住宅で、ほぼ40万人の福山でありながら、人々はよく挨拶をしてくれて、外人の私たちを暖かく歓迎してくれます。この教会で以前何人か主にノルウェーからの宣教師が働いた事の成果かもしれません。外向きの活動に案外多くの方々が参加してくれます。料理教室、手芸の会、子ども英語はその実例です。

 この秋の特徴は有木先生の特別伝道会と結婚式の他に三つの音楽イベントがあったことでした。先ず第一に西宮南教会の皆さんが10月に17名で礼拝遠足で来てくれて、ILOというバンドが演奏してくれました。


 特伝の時に福山フォルクソングを歌う会の皆さんがミニコンサートを開いて、そして12月にMikko Goes To Heavenのゴスペルコンサートがありました。去年に続いて教会は長満員でした。

MGTHのツアー

 Mikko Goes To Heaven は合わせて23回のコンサートや諸集会に合計2100人の人が集まって、その中に教会に初めての人の割合がとても高かったのです。あるところに80%を超える程でした。バンドの皆さんはとても感謝して帰って、又1年半後の春に来日したい気持ちで一杯です。

 色々の問題も起こりました:バンドの中の4人まで病気をしたり、病院から薬をもらったりしたし、片方のスピーカーが故障したりしましたが、全てのコンサートは予定通り行われました。フィンランドで作って、もって来た日本語のCDもフィンランドに残った一部を除いて全部売れました。

 私が二週間彼らの通訳や運転手として幾つかの教会を歩き回って、懐かしい方々に会ったり、世話になったりして、充実した時を過ごさせて頂きました。感謝しております。

嬉しい情報

 特にあお教会で多くの愛する方々に会えて、又あお教会に今年9人の洗礼者と堅信者与えられた事を心から感謝しています。特に洗礼を受けられて、天に召された岡本姉妹の事を聞いて心から救い主イエス様の恵みを感謝いたしました。「主を信じなさい、そうすればあなたもあなたの家族も救われる」と言う約束をもう一度確認された思いです。

 

 旧年はとてもお世話になった事を心から感謝いたします。今年も宜しくお願い致します。


 主イエス・キリスト様の豊かな祝福をお祈りいたします。

J.& L.ピヒカラ