有名
な伝道者であった故本田耕司先生を何回か集会で聞きました。彼がよく上に書いた神様のみ言葉の個所から話をしました。そして、よく次の実話をはなしまし
た。それを何回か聞いた結果それを劇に書いてもらいました。最近それをフィンランド語に翻訳しました。話はさち子という女の子についてです。
彼女のお母さんの顔にはと
ても大きなやけどの跡がありました。小学生になった頃、さち子さんは誕生日会に友達を家に招きましたが、お母さんに一つの頼みをしました:
「誕生日会にお母さんは出
ないで欲しいの」と。お母さんが悲しくなりましたが、頼みに応じました。美味しいご飯とケーキを作って置いて、別の部屋に行きました。
誕生日会の時に皆がとても
楽しく遊んだ時に、お母さんがちょっとドアの開いて、隙間から様子を見ましたが、一人の友達がお母さんの顔をみて、びっくりして「お化け」と叫んで、友達
は皆恐れて自分の家に帰ってしまいました。
さち子はお母さんを「約束
破り」と攻めて、泣き崩れました。その時にお父さんが帰って、様子を聞いて、さち子は泣きっぱなしでした。それで、お父さんがさち子に大切な話があると
言って、タンスの上から写真を取るように頼んだのです。
「この写真をよく見てごら
ん。誰だと思う?」
「結婚式の写真でしょう。
この男の人は…あっ、お父さんだ。でもこの隣の綺麗な人は誰?」
「これはさち子のお母さん
だよ。」
「お
母さんは本当はとても美人なんだよ。だけどね、さっちゃんが赤ちゃんの時に大変な事があったんだよ。それはね、さっちゃん、お母さんが少し目をはなした時
だったんだ。ストーブのそばではっていたさっちゃんがストーブの上のやかんに手をかけて、それがさっちゃんにかかろうとしたのを、お母さんが走り寄ってき
て、さっちゃんを抱き抱えて、その湯をお母さんがかぶったんだ。さち子、お母さんの焼け跡はその時のものなんだよ。さち子を助けるために、あんな顔になっ
ちゃったんだよ。」
「お母さん、もう友達に何
を言われても私は恥ずかしくない。だって、おかあさんは私の身代わりになってくれたんだもの。お母さんごめんね、本当にありがとう。」とさち子が謝りまし
た。
「さっちゃん、すぐイースターがあります。それはイエス様が私たちの身代わりとして十字架の上で死んで、三日目に墓から復活した記念日です。お母さんが
さっちゃんの身代わりになったように、イエス様は私たちを罪の罰から救って下さいますから、一緒に感謝の祈りをしましょう。」 それでさち子は祈りまし
た:
「神様、私たちのためにこの地上に来て下さってありがとう。お母さんが私を助けるためにやけどをしたように、イエス様は私を永遠のほろびから救って下さる
ために、身代わりとなって十字架にかかって下さった事を感謝します。今、心からイエス様を信じます。どうぞ私をお救い下さい。イエス様のみ名を通してお祈
りします。アーメン。」
もう一つの話を最近よく考えています。それはラジオ牧師村上信道先生から聞いた話です。先生の妹さんが別の牧師の奥様です。ある時に村上先生が九州で「世
の光」番組の集会をしていた時に電話が入りました。妹さんの小学生のお子さんが、交通事故で即死したという事でした。先生はすぐ東京に帰って、妹さんを抱
いて、慰めようとしたところに、妹さんがこう仰いました:
「今、やっと神様が私をど
れほど深く愛して下さるかと分かりました。」
先生はとても心配になっ
て、妹さんが悲しみで気が狂ったかと思いましたが、妹さんが言い続けました。
「自分の子どもを失うのは
こんなに辛い事が分かりました。父なる神様が私の為にそに独り子イエス様を十字架に送って下さったことが、何という犠牲だったでしょう。この私を救うため
でした。」と。
私たちはこのような愛を示したイエス様にイースターに目を向けましょう。イエ
ス様はその蘇りによって死に打ち勝って、永遠の御国の希望を与えて下さいます。その大きな愛を素直に受け入れましょう。
冬から春へ
去年と打って変わってフィンランドの伝統的な寒い冬を経験しました。イースターに南の地
方の雪が殆ど解けました。75歳以上ですから家
内と一緒にコロナ注射もうけましたが、パンデミックは第三波のピークに達していますから、特に首都圏は厳しい中です。イースターの後、厳しい移動制限も始
まる予定です。家の中に6人以上の集会は禁止です。
フィンランドで異常事態が3月13日に宣言されて、その前まで普通の通りにEspoo
Kotikirkko教会で説教したり、ミッションの聖書学院で教えたりしました。今はフィンランドで9人以上の集まりは禁止で、すべての礼拝はインター
ネットで行われています。祈り会や交わりはズームで行われます。
Espoo
Kotikirkko (エスポーの家庭教会)
レストランは全部閉まっていますから、Espoo教会は礼拝を外で
行う事態に突入しました。気温は未だ3℃前後ですが、イナターネットだけではなく、殆どの信徒が外で礼拝の交わりを味わっています。コロナのお陰で顔と顔
を合われる交わりの大切さを再確認しています。
外で礼拝を守る事の一つの
助けは9月から始まった毎日曜日の路傍伝道でした。礼拝は人がよく通る広場でやりますから、通っていく人がメッセージを聞きに泊まったり、他の閉まってい
る教会の信徒も聖餐式を求めて出席したりします。
ミッション関係の働き
コロナの中に多くの集会が中止になったり、又はストリーミングによって行ったりしますから、時間が与えられて、特に本を書いたり、又本を日本語からフィン
ランド語に翻訳する事に使っています。幸いに私たちは田舎に住んで、首都圏より制限が少し柔らかいから、ミッションの聖書学院は殆ど対面授業を続ける事が
出来ています。そこで少し授業をして来ました。ラジオ伝道が活発になっています
日本伝道
フィンランドルーテル宣教会は初めて日本に宣教師を送ったのは1968年でした。初めの宣教師はユーティライネンご夫妻でした。彼らは長年西日本福音ルーテル教会で働いて、加古川教会と八鹿教会を開拓し
て又小豆島でも奉仕していました。とても熱心に伝道に力を入れたご夫妻でした。ご主人は1月に主の栄光に召されて、ちょうど2週間後で奥様も同じ主の招きを受けました。葬儀は合同で行われました。
HAT神戸教会と西宮教
会でクリスマスに洗礼式があった事を聞いて、嬉しく思います。
又3月20日の教会総会で阿
南教会の中川先生と八鹿教会の丹羽先生が牧師按手を受けた事を拝見してとても嬉しく思います。「収穫が多いですが、働き人が少ない、だか
ら収穫の主が働き人を送るように祈りなさい」とイエス様が勧めておられます。
家族ニュース
西宮南教会で働いているパルム一家を含めて私たちの子供や孫たちは今の所コロナにかかった事がありません。パルムたちは
7月に帰国する予定です。
家内は今年の秋
に80歳になります。そ
の伝道の働きについて証しが次のリンクから読めます:
http://www.pihkala.net/Message/LeaPihkalaAkashi.htm
あなたの存在は私たちに大切です。主にある交わりを心から感謝いたします。これからもよ
ろしくお願い致します。
イースターの喜びと主の豊かな祝
福をあなたの上にありますようにお祈り致します。
J. & L. ピヒカラ