Jorma & Lea Pihkala
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2025の 受難週


 キリストは誠に蘇られました!

  主イエスは、私た ちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。(ローマ4:25)

    復活祭の前の受難週の金曜日はイエス様が十字架に付けられた記念日です。イエス・キリスト様の酷い苦しみの十字架刑はキリスト教のシンボルです。その意 味をイエス様の十字架上の七つのみ言葉を通して考えましょう。それらは大変な肉体的、精神的、霊的な苦しみの中から言われたものです。

 「父よ。彼らをお赦しください。彼ら は、何をしているのか自分でわからないのです。」
      イエス様の第一のみ言葉は父なる神様に対する取り成しのお祈りです。ご自分を十字架につけようとするローマ人の兵隊の罪の赦しを願うお祈りです。それは 十字架の苦しみは人々の罪の赦しのためのものだと示します。その赦しは自分の罪を認めて悔い改める人のためだけではなく、まだ自分の罪に全然気 が付いていない、まだ無知の世界で生きている人々のためでもあります。兵士たちは恐らく自分の義務を果たして、罪を犯した人に正しい罰を執行しようとして いると勘違いをしていたでしょう。しかし、十字架上のイエス様のみ言葉と姿勢で彼らの目も開かれたでしょう。少なくとも、百人体長は「ほんとうに、この 人は正しい方であった。」と言って、自分の過ちに気が付いて、イエス様のこの祈りに大きな慰めを得たでしょう。分からない内に犯した罪も罪であり、赦しを 必要とします。

      このイエス様の祈りによってどれほど多くの人々が神様の愛の御心を知って、赦しに預かったでしょう。また後でクリスチャンたちに対する迫害の中に、この祈 りによって多くのクリスチャンは敵を赦すところに至ったに間違いはありません。

  「女の方。そこに、あなた の息子がいます。」 「そこに、あなたの母がいます。」
     十字架の下にイエス様の母と弟子のヨハネがいました。母の心を剣が通るような苦しみが刺したでしょう。イエス様のみ言葉は深い愛情から出る親孝行の言葉 です。イエス様はヨハネにマリアの世話を頼んで、ヨハネはマリアをこの耐えられない場から町に連れて行って、又後で一人で十字架の下に戻りました。イエス 様の愛はもっとも大変な苦しみの中にも周りの人々の苦しみを見て、理解して、助ける愛です。


 「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わ たしとともにパラダイスにいます。」
     十字架の両側に同じ刑を受けている犯罪人は始めに両方がイエス様を罵ったが、イエス様の赦しを願う祈りを聞いて片方は悔い改めて、イエス様を見つめ直し て、自分の罪深さを認めて、もう一人の犯罪人にも姿勢を変えるように促しました。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではない か。われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」そして、イエス様に向かって一 つの願いを言いました。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」 

      この犯罪人の言葉はすべての人々のすべき悔い改めの要素を含めます。まず第一に自分の罪を正直に認める事です。第二にイエス様を神様の国の王様として認 める事です。第三に自分には地獄に行く以外に何の資格もありません。第四に、にも拘らず十字架のイエス様から思い出してくださるように願う事です。資格 のない人が十字架のイエス様から恵みをお願いする事は信仰です。

       イエス様の答えは十字架の意味を明言します。イエス様はその犯罪人の受けるべき永遠の苦しみの罰を代わって受け取って下さって、その故にこの犯罪人は天の み国にあるパラダイスにその日に入ることが出来ました。犯罪人を救ったのは悔い改めの祈りではなく、イエス様の身代わりとしての苦しみでしたが、悔い改め る心はその恵みを受け入れるには必要です。悔い改めの反対は救いを拒否する、自分で自分の始末をする高ぶりの姿勢です。

 「わが神、わ が神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」
    このイエス様のみ言葉は十字架の苦しみの最も深い事を表します。十字架上の6時間の間、父なる神様はご自分の御子イエス様を見捨てられました。神様に見捨 てられる状態は地獄です。滅びです。燃えるゲヘナです。「神は燃えつくす火です」と書いてある通りです。

     もし一人の人間のすべての罪が苦しみの杯の一滴に比べると、イエス様は全人類のすべての人々のすべての罪の罰としての杯を最後の一滴まで飲まれて、味わっ て下さいました。イエス様はその苦しみの永遠の深さで私たちのすべての人 の罪の長い処罰は完全に負えられました。
 
  「わたしは渇く。」
    十字架上の6時間の最後の時に、イエス様は、すべてのことが完了したのを知って、「わたしは渇く。」と言われました。このすべての完了は大切な意味を持 ちます。何が終わったかと言うとイエス様の地上の生涯と言う意味ではありません。それは、十字架上にまだ体が生きておられた時の滅びの苦しみが終わったと 言う意味です。全人類の罪の代価は最後の一文まで支払われたと言う事でした。すべての人の永遠の火の地獄の処罰が最後まで経験されて、救いが完了したと言 う意味です。イエス様の霊的な苦しみがピタッと終わりました。その苦しみに比べるとイエス様の肉体的な苦しみは余りにも軽かったのです。その苦難が終わっ て、イエス様は初めてご自分の肉体的な痛みに気が付いたほどと言っても言い過ぎではありません。しかし、飲むことによってイエス様は最後の勝利宣言を叫ぶ に必要な肉体的な力を得られました。

 「完了し た。」
      私たちのすべての罪が赦されるためのイエス様の重いみ業が完成しました。これは何とも言えない素晴らしい勝利宣言でした。罪の代価が払い済みです。我らの 罪の要求する処罰は最後まで受けられて、私たちは自由です。天国の門が犯罪人に開かれました。

       イエス様が経験した罪の処罰はイエス様が肉体的に生きておられた内に終わりました。イエス様の肉体的な死は罪の処罰ではなく、罪の結果としての死を勝利者 として取り除く働きに属します。主の復活は罪の支払いではなく、その領収書に似た役割があります。十字架の贖いが十分であった証拠です。

  父なる神様はイエス様を三日目に死者の中からよみがえらせ、十字架上の贖いを受け入れられました。それゆえ、イエス様の復活は、その贖罪が 私たちにも適用され、私たちが信仰によってイエス様に信頼を置くとき、神様が私たちを義と認め、罪から清めてくださることを、私たちに保証するものなので ある:

 私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信 じる私たちも、義と認められるのです。主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。(ローマ 4:24−25)

 「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」
      イエス様の最後のみ言葉は夜寝る前の安心する祈りです。同時に肉体的な死が何を意味するかと言う大切な教えでもあります。真の神様であり、真の人間であ るイエス様はクリスチャンに正しい死に方を示して下さいました。イエス様の贖いによって罪赦された人は、安心して自分の霊を父なる神様に委ねて、新しい体 の復活の日まで体から離れて、人格として主の下にパラダイスに体の蘇りを待つことになります。


クリスマスから イースターへ

  昨年8月に始まった東ヘルシンキの教会開拓を、レアと一緒に礼拝に参加して手伝っていま す。説教は月に2回ほどです。ヨハネの第一手紙の説教シリーズを終えたところです。

 熱心に伝道し、さまざまなミニストリーに大きな責任を負っている若々しい会衆が、日曜日の午後3時から、東ヘルシンキ中央にあるストア文化センターの教 室(約30席)で集会を開いています。そのスペースが手狭になったこともあり、私たちはしばらくの間、新しい施設を求めて主に祈って来ました。文化セン ターはイースターのため閉鎖されるので、4月20日午前10時半からエスポーにある親教会で復活を共に祝わいます。

 私の巡回説教の働きは、小さな形式で続いています。1月と2月には、ミッションの聖書学院で2つの連続講義を行いました。一つは東洋宗教と新宗教に関す る弁証論課程で、もう一つは使徒言行録に関する聖書講義でした。毎年恒例のアポロジア・フォーラムが4月25日から27日まで聖書学院で開催される予定で す。今年のテーマは「人間の断片」、すなわち人間論です。

日本伝道

  日本で18年間、家族とともに宣教師として働いている娘のパルム朝子が、3月の手紙 にこう書いてくれました:


関西女性集会、一番右にパルム朝子

 日本は「宣教師の墓場 」と呼ばれることがあります。「観光客にとっては素晴らしい国ですが、宣教師にとっては最悪です」。日本人は、世界で最も大きな未伝道民族のひとつです。 日本人の約1%がクリスチャンです。プロテスタントの教会のうち、81%は50人未満、30%は15人未満しか出席していません。牧師の約75%は60歳 以上。後継者がいないため、引退が難しいです。6%の教会では牧師が全くおらず、6%は他の教会と牧師を共有しています。」

「ある64歳の牧師は、少数の礼拝出席者を前に説教をするとき、その場にいる人の中で自分が一番若いことが多く、本当に悲しくなると正直に語っています。 年長者たちは若い人たちにイエス様についてどう話したらいいのかわからないし、自分の子供や孫にさえ信仰を伝えられずにいる人が多いです。」

「1960年代に、100の教会を建てるというビジョンを持った宣教師がいました。彼は40の教会を建てることができたが、現在運営されているのはそのう ちの2つだけです」と嘆いたのです。

「その牧師は1980年代、景気が悪くなった日本にリバイバルが起こるかもしれないと考えていたといいました。しかし、1990年代に経済が悪化し始める と、人々は神様に立ち返らなかったのです。しかし、彼は今もリバイバルを待ち続けています。」

「なぜ中国、韓国、フィリピンといった近隣諸国の教会は成長できたのでしょうか?日本には伝道者が少なすぎるのですか?手段が悪いのですか?土壌が悪いの ですか?沈みゆく沼地なのですか?これらの疑問は、ここで働くすべての人が抱く疑問でです。あきらめて去っていく者もいます。しかし、神様は日本を見捨て ておられません。良い羊飼いが一匹の迷える羊を探し、99匹がその間に待たされたたとえ話を思い出してほしいのです。だから、その1%にも屈しません。イ エス様にとって、その1匹の羊は大切な存在でした。イエス様にとっては、日本の1%が大切なのです。日本の1%は神様の偉大な恵みなのです。」

「しかし、イエス様にとっては、日本の99%も大切なのです。99匹の羊さえもご自分のものにしたいと願っておられます。この99匹の羊に手を差し伸べる 方法には、サーカスのような芸当はありません。祈り、神様の言葉を伝え、教え、仕え、愛し、キリスト様を人々に示す事です。キリストご自身の恵みによって 生きることです。神様は忠実でおられます。その恵みによって、私たちも忠実になることができます。私たちは、主が日本で何をなそうとおられるかを知ってお られると信じることができます。だから私たちはあきらめません。神様は私たちとともにいると約束してくださったからです。神様は私たちを日本で奉仕するよ う召してくださったのです。」

家族のニュース

 末娘のカーリナ・サヴォネンが、ヒュヴィンカー教会で音楽 家としてフルタイムで働くことになりました。これまでは数年間、パートタイムの臨時職員として働いていました。

 14人の孫のうち一番上の子が、1月からここリュッティラの聖書学院の弁証課程に学んでいることも嬉しいです。他の3人の孫も、かなり定期的にミッショ ン聖書学院の集会に出席しています。大学生の3人中の一人は現在スペインで半年間留学しています。一人は日本の高校に通っています。他はそれぞれこの国に います。私たちは孫たちに会うのを楽しんでいます。 

 レアと私は年齢の割に元気でいる事を主に感謝しています。

聖書の学びのための資料
 新約聖書を個人的に又は聖書研究会で学ぶためにほとんど毎節についての質問集を作っています。見て活かし て頂いたら嬉しく思います。以下のHPからダウンロード出来ます。

https://www.pihkala.net/ManabinoshitsumonJP/IndexShitsumonJp.htm

私たちが受けた友情、支援、執り成し、励ましに心から感謝します! あなたは私たちにとって重要です!

イースターの喜びと主の豊かな祝福をあなたの上 にありますようにお祈り致します。


J. & L.  ピヒカラ