Jorma & Lea Pihkala
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2026の 受難週


 キリストは誠に蘇られました!

イースターおめでとうございます!

  それから、イエスはすべてのことが完了したのを知ると、聖書が成就するために、「わたしは渇く」と言われた。酸いぶどう酒がいっぱい入った器がそこに置い てあったので、兵士たちは、酸いぶどう酒を含んだ海綿をヒソプの枝に付けて、イエスの口もとに差し出した。イエスは酸いぶどう酒を受けると、「完了した」 と言われた。そして、頭を垂れて霊をお渡しになった。(ヨハネ19:28-30)

   聖金曜日と復活祭が近づいています。私たちは、西暦30年にエルサレムで、イエスが私たちのために十字架上で死に、岩の洞窟に葬られたが、三日目に墓か らよみがえられたことを思い起こします。イエスは、私たちに肉体の復活への道と、天の栄光への道を開いてくださいました。私たちの救いは、歴史的な事実に 基づいています。

 イエスの受難の奥義は、計り知れないほど深遠です。 その深みに少しでも踏み込むたびに、心は一方では恐怖に満たされます。まさに私自身の恐ろしい罪が、主の苦しみの原因だったのです。そして他方では、喜び に満たされます。イエスの愛は、まさに私に対してさえ、計り知れないほど大きいのです。イエスが耐え忍ばれたすべての苦しみは、私のためにあったのです。 たとえこの地上に他の人が一人もいなくとも、それでも主は、その愛ゆえに、私のために同じことをなさったでしょう。

 上記の聖書の箇所で、私の注意は最初の言葉に引かれ ました。「イエスは、すべてがすでに成し遂げられたことを知ると、『私は渇いている』と言われた。」私たちは知っているし、聞いたことがありますが、渇き とは、人間が経験しうる肉体の苦痛の中で最も恐ろしいものであると。イエスにとってもそれは恐ろしいものでした。なぜなら、喉の渇きを訴えることこそが、 十字架の上で、ご自身の肉体の凄まじい苦しみを表す唯一の言葉だったからです。しかし、最も重要なのは、イエスがこの痛みと渇きを、すべてがすでに成し遂 げられたと知った後に初めて表されたということです。

 では、イエスが実際にまだ死んでいないうちに、一体 何がすでに成就していたのでしょうか。旧約聖書の預言でしょうか? いいえ、それらはまだではありません。たとえ三日目の朝に、それらも最終的な「アーメン」、すなわち成就を迎えることになっていたとしても。



 

 では、何がすでに成就されてい たのでしょうか。私とすべての人間の罪のために、神の律法が要求するすべての懲罰の裁きが、最後の一滴に至るまで、完全に成就されていたのです。罪の報酬 は死ですが、それは肉体的な死というよりは――最終的にはそれも含まれますが――永遠の死、すなわち地獄の火のことです。それは、命の源である神からの完 全な分離を意味し、神に見捨てられ、神の怒りの下に置かれた、果てしなく絶望的な苦痛を意味します。まさにこの地獄の炎の苦しみこそを、イエスは私の罪の 罰として、神に見捨てられた者として、ゴルゴタの十字架に架けられ、十字架に懸けられていた6時間の間に、その魂の中で味わわなければならなかったので す。

 暗闇が支配しており、私たちの理解では、その暗闇の 向こう側にあるイエスの苦痛の大きさを決して測り知ることはできません。しかし、やがて罰が最後まで耐え抜かれた瞬間が訪れ、イエスはそれを知り、感じ取 られました。その後に初めて、肉体の苦痛が彼の意識に押し寄せた。魂の苦しみはそれほど計り知れないものであったため、私たちの贖いがすでに成し遂げられ るまでは、イエスは人間としての肉体の苦痛の中でも最も恐ろしいものを、まるで気づいていなかったかのようであったのです。
そう、私の罪はそれほど恐ろしく、私の存在はそれほど汚れているため、私の罪に対する神がイエスへ向けた裁きは正当なものでした。しかし今や、その裁きは すでに完全に受け尽くされました。イエスは私のために、自発的にそれを成し遂げられたのです。罪を取り除くことができるのは罰だけであり、まさにそれをイ エスは成し遂げられたのです。神は、その大きな愛によって、御子イエスに私の代わりに苦しみを受けさせられました。私は今、イエスのゆえに罰から解放さ れ、自分の罪の裁きから解放されています。私の救い主であり、私の赦し主である方、私が罪を委ねることができたその方が、それらを背負ってくださいまし た。その御名が賛美されますように!


 イエスはまた、肉体的な復活によって死の支配を打ち破られました。彼は、私を縛っていたあらゆる闇の勢力の支配に対しても勝利を収められました。私は自 由です、私は神の子です!何という恵みでしょう!

 これは、あなたのためにもなされたことです。この奇 跡を通して与えられる赦しを受け入れることこそが、私たちの救いです。生ける神との交わりへと至る他の救いの道はありませんが、イエス・キリストに助けを 求めて叫ぶすべての人にとって、この一つの道は十分なのです。
 

阿南教会の記念の年

   私たちは1984年から約5年間、日本の阿南教会に奉仕することができ、その後も時折訪 問していました。セッポとヴオッコ・ヴァンスカご夫妻によって設立さ れたこの教会は、今年50周年を迎えます。記念式典は5月末に行われます。これにちなんで、2006年に信里由美子さんが語られた証言を引用します。この証言は、私たちが教会に奉仕で きた時期を反映したものでもあります。


信里由美子様と川上恵子様

信里由美子様の証し (2006年)

 思えばルーテル教会の故川上先 生が我家を伝導訪問してくださった日から21年(現在41年)もの歳月が経っています。それはそのままイエス・キリストと共に歩ませて頂いた歳月となりま した。当時夫の転勤で阿南市に住むようになっていた私は「エホバの証人」でした。「ものみの塔」の組織に疑問を持っていながらも組織を出ることには恐れが あり、とにかく組織に忠実であるよう求められていた生活でした。そんな中訪ねて下さったルーテル教会の川上牧師とその後訪問を続けて下さり祈り続けて下 さった牧師夫人恵子さん。そして導かれた教会で待っていて下さったの はピヒカラ宣教師夫妻。

 思えばすべて主の備えられた道で あったとわかります。そこで始まった聖書の学び。受け容れ難かった三位一体の教え。
 しかし、御聖霊は働いて下さったのです。
「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」
「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」
 何ということか、唯一神エホバのためによかれと思ってしていたことが、実はその神御自身を迫害していたのだということが示されたのです。

 その年のクリスマスに受洗の恵み に与りました。その後阿南ルーテルキリスト教会で3年間を過ごし、ピヒカラ先生と聖書の学びを通して深いお話ができたこと、拙いながら教会学校や子供英語 教室をお手伝いさせて頂いたこと、またポラリ宣教師(今兄の妻でピヒ カラ)に日本語を教えさせて頂いたり、我家で土曜学校(後に水曜学校)を開き、レア夫人に助けて頂いて毎週近所の子供達5、6人が来てくれていたこと等ほ んとうに私の人生の中であんなにも充実して忙しかった日々はありません。


 その後阿南を去ることになり、香 川や愛媛を経て、また香川の方へ帰って来ました。20年余りの来し方を振り返ってみますと、イエス・キリストの十字架を受け入れるとは単に主が私のために 死んで下さったということを認めるだけではなく、そこにもっと深い「私は罪人である」という自覚が生れたことでした。 後悔してもしきれない罪の数々。し かしそこに主の十字架の死があり、その死がひとつひとつの私の罪を癒し漬って下さるということと、その死の向こうに復活と永遠の命があるという希望。

 長い間母の救いを祈り続けて来て いましたが、その母が病床でイエス・キリストを受け入れ召されました。その時も母の枕元で祈ってくださったのは奇しくも私と息子(1993年受洗)に洗礼 を授けて下さった故川上牧師でした。今(当時)は香川県の屋島の近くで開拓伝道されていま(した)す。

 今も目を閉じると、 青々とした田園風景の中に建つルーテル教会が蘇って来ます。それとともにレア夫人がもてなして下さったライ麦パンやシナモンパン、美味しいコーヒーの香り も思い出すのです。
 これからもさらに良き伝道がなされていき、神様の祝福 のうちを教会とともに皆様が歩んでいけますようにお祈りしております。

西日本福音ルーテル教会

 西日本福音ルーテル教会は、3月21日の教会総会において、玉島教会の吉田牧師を新会長として迎えました。新しい牧師、パク氏は按手式を受けて、淡路教会と教会全体の青年活動を担当することに任命さ れました。4月初旬に新学期と新会計年度が始まるため、A.パルムとL.パルムは 淡路教会と徳島県の3つの教会の共同宣教師として転任することになりました。夫妻は7月初旬にフィンランドに到着し、7ヶ月間の帰国期間に入ります。ランタマキご夫妻とシルヤテイエご一家も春に帰国期間に入ります。


ヘルシンキ改革派教会
 1年半前に始まった東ヘルシンキでの教会開拓は、今年初めに新たな段階に入りました。UCC国際教会と共 に工業用ホールの一部を借り、そこで礼拝を行うようになりました。立地は中心部にあり、より広い場所で教会が成長していることを大変嬉しく思っています。 ここ数ヶ月、教会ではベビーブームが起きており、大変喜ばしく思っています。一方、福音を広めようとする時、霊的な戦いもまた避けられないものです。


FLMの宣教活動

 ミッションの聖書学院ではアジアの諸宗教と新宗教に関する講義を行い、又家内と一緒に巡回伝 道で聖書講演を行いました。村の小学校で開催されている子供たちの「ドンキス・ビッグナイト」は毎月開催され、毎回30人近い子供たちが参加しています。

主のみ前に召された方々

 レアの兄の未亡人、ア ニッタ・サロヤルヴィ様(72歳)は1月16日に永眠され、私たちは葬儀を準備し参列し、後の事もを果たしました。
私たちにとって大切な日本人の友人2人、聖書の原語研究の権威である村岡氏 と、神戸神学校の元学長である橋本氏も、主のもとへと召されました。
 私たち自身も、主イエスと同じ道を歩み、死、墓、そして復活を経て、父なる神の栄光の御許へと至る道を、今まさに歩んでいます。

家族のニュース
 今年の初めから長女は夫と共に中東に赴任しており、現在も紛争が続いていますが、今のところ特に問題はな く、仕事も続けています。
 息子たちは二人とも仕事で頻繁に海外出張しており、フィンランドにいるよりも海外にいる時間の方が長いように感じるほどです。
 孫二人は大学入学資格試験を受けています。一人は民間奉仕活動に従事し、一人はリハビリを受けており、残りの者は勉強や学校に通っています。
 比較的健康であることに感謝しつつも、私たち高齢者にとって年齢はますます重荷になっています。今年はレアは85歳で、私82歳です。

 私たちが受 けた友情、支援、執り成し、励ましに心から感謝します! あなたは私たちにとって重要です!

イースターの 喜びと主の豊かな祝福をあなたの上 にありますようにお祈り致します。


J. & L.  ピヒカラ