L.&J.ピヒカラ

東福山福音ルーテル教会
  J.ピヒカラ
  L.ピヒカラ
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2004
年クリスマス

奉祝降誕 謹賀新年

 


 そこでピラトはイエスに言った。「それでは、あなたは王なのですか。」イエスは答えられた。「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。(ヨハネ18:37)
 イエスはナタナエルが自分のほうに来るのを見て、彼について言われた。「これこそ、ほんとうのイスラエル人だ。彼のうちには偽りがない。」 ナタナエルはイエスに言った。「どうして私をご存じなのですか。」イエスは言われた。「わたしは、ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見たのです。」 ナタナエルは答えた。「先生。あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」(ヨハネ1:47〜49)


 十字架に付けられる寸前にイエス様は御自分を王と呼ばれ、またそのためにお生まれになった事を宣言なさいました。王として生まれ、王として死なれ(イエス様の十字架の上に書かれた言葉は「INRI,Iesus Nazarenus Rex Iudaorum ナザレのイエス、ユダヤ人の王」でした)、また王として墓からよみがえられたイエス・キリストは果たしてあなたの王でしょうか、また私の王でしょうか。

 王と言う呼び方はイスラエルの歴史の中に単なる支配者と言う意味だけではなかったのです。王の使命はその民を敵から解放する事でした。周囲の国々の独裁的な王たちと本質的に違う性質の王概念でした。イエス様は人々を罪と死と悪魔と言う敵から釈放して、神様の国へ、すなわち神様の義と平和と聖霊による喜びとの世界へ移すためにお生まれになりました。

 しかし主イエス・キリストも確かに支配者に過ぎません。ただその支配は無理やりに上から押し付けられるものではなく、主イエス・キリストの真理の言葉と恵みの言葉による支配です。幸福な結婚の場合にも、夫はその妻を愛によって従わせています。つまり妻を支配しますが、それを妻は自由として感じます。同様にイエス様の家来たちは確かにそのみ心に従いますが、それは彼らがイエス様のみ言葉の真理に圧倒されて、その恵みに生かされて、快く、自分自身の意志であるように、主イエス様に従います。なぜなら、イエス・キリストの真理によって縛られた結果、彼らは心の自由を得たからです。

 イエス様が公の活動の始めに弟子たちを集めた時に、ナタナエルに始めて会われた時に「これこそ、本当のイスラエル人だ」と言われました。それはどういう事かというと、ナタナエルの人格を高く評価したと言う意味ではないと思います。かえって、ナタナエルが自分の罪深さで悩んでも、正直に神様に訴える事を認められたと思います。イエス様はナタナエルが全く一人である木の元で旧約聖書のヤコブの物語を読みながら、自分の心の悩みや葛藤を正直に神様に祈りの内に暴露した事を全部知っておられたのです。

 木の下でナタナエルは旧約聖書のヤコブの物語を読みながら祈りの戦いをしていました。ヤコブが兄のエサウをだまして、またその怒りを恐れて逃げている最中に主が現れて、素晴らしい恵みの約束を与えて下さった記事を読んで、自分があのヤコブ(名前はだます人という意味です)と同じ心の持ち主である事を深く悔い改めたのです。またヤコブが20年後で、殺意で近づいたエサウにもう一度会わなければならない前に凄く恐ろしい気持ちで主と必死に祈りのレスリングをして、心の底まで自分の罪深さを認めた時に、とうとう主に勝ちました。なぜ勝ったかというと、自分自身の真実を認めただけではなく、主ご自身の約束の言葉にも訴えて祈ったからです。

 主は正直に自分自身についての真理を認めて、また神様の約束の言葉に訴える人に「弱い」のです。そのよういな人々はとうとう神様に勝ちます。というのは神様が祈りについて素晴らしい約束を与えて下さったのです。「何でもイエス様のみ名によって祈れば与えられる」などです。自分についての真理と神様の約束を受け入れて、祈りが聞かれる約束に訴えると、願う事何でも与えられる結果になります。しかし、同時に不思議にもそのような人こそ神様に支配される人にもなります。祈りに応えて下さる主の愛に益々自分を任せる心が生まれるからです。

 ヤコブと祈りの戦いの末に、真理と約束に負けた主はヤコブに新しい名前を与えて下さいました。それは「イスラエル」です。それは「神様と戦って、勝ったもの、また神様に支配されるもの」と言う意味です。

 ナタナエルは自分自身が全くヤコブと同じような人間であって、ヤコブに神様が与えて下さった約束の言葉に祈りの中に必死に訴えた事をイエス様が完全に知っておられた理由は簡単です。イエス様こそナタナエルが木の下の静かさの中で祈った祈りの対象である誠の神様だからです。

 イエス様の言葉一つでナタナエルはどう反応したかというと、「あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」それは信仰告白であっただけではなく、自分自身を全面的にイエス様の真理の支配に任せた事でもありました。「あなたは王です、私は家来です。私を支配して下さい。あなたの行くところに、どこにでも従います、あなたの言われる通りに致します。」ナタナエルはイエス・キリストの真理に属するものになり、主に従うものになりました。

 私たちは暗闇の世の中に生きています。それは、科学が発展して、技術が進歩して、社会が色々な意味で便利になっても、嘘や欲望や殺意の暗闇が益々力を増しています。しかし、このようなよの中に今日も真理の光が照っています。それは神様の御子イエス・キリストのみ言葉です。罪と死と悪魔の現実でどうしようもない人々をこの真理の王でおられるイエス様は開放する事が出来ます。あなたも解放されたいでしょう。あなたも真理と光の世界に移りたいのでしょう。そのためにあなたの心の最も暗い部分を照らす光の王に自分自身を明け渡したら如何でしょうか。光の中に心が清められて、罪が赦されて、主との交わりが始まります。主はあなたの王になります。


東福山教会
 今年の後半は異常気候の連続でした。余りにも暑い夏の疲れが未だ癒されない内に次々台風が襲ったり、地震が発生したりする暖かい秋でした。精神的にも、霊的にも戦いの多い秋でしたが、その中にオアシスのように励まされて、新しい力が注がれた特別伝道集会がありました。

 講師の田中政男先生のメッセージの中に特に、主が祈りに応えて下さる、全能の神様、また人を救おうとする恵みの神様である事が再確認出来ました。主から今までよりも遥かに大きな救いのみ業を大胆に祈る勇気が与えられました。また主が具体的な形で応えて下さる事も新たに受け止める事が出来ました。聖書のメッセージは非常に具体的なもので一杯ですから、私たちの信仰生活においても、具体的な祈りをしたら、主の具体的な応えも見られます。

 特別伝道集会にハンナゴスペル福山フォークソングクラブの皆さんが素晴らしい活躍ぶりを見せて、又佐藤英子姉妹と青戸信義兄弟が証しをしました。佐藤姉妹の証しは次のホームページから読まれますから、インターネットにつながっている皆様は是非ご覧下さい。
 http://www.pihkala.net/Message/SatouEikoAkashi.htm   
 特伝のチラシ配りのかげで、教会に又かなりの新しい方々が見えて、感謝しております。
 夏の子どものキャンプの後、教会学校であるジーラブの子供達の数が大分増えてきたことも感謝の課題でありながら、挑戦でもあります。
 今年後半の特徴はカウンセリングを求める方々が随分増えてきた事です。又その中にインターネット経由の場合も目立って増えています。

洗礼の喜び
 10月の最後の日曜日に青戸信義兄と尚美姉の娘の心穂ちゃんの幼児洗礼が行われました。又クリスマス礼拝で又Aさんの洗礼式が予定されています。神様に感謝しています。

 

主イエス・キリスト様の降誕を心より喜び申し上げます。
主の恵みの2005年をお迎え下さい。

J.& L.ピヒカラ