Jorma Lea  Pihkala
ヨルマ & レア・ピヒカラ
jpihkala@yahoo.co.jp
lea.pihkala@sekl.fi
651-0052 
神戸市中央区中島通2-2-11

http://www.pihkala.net
電話  090-9888-9067
Skype  jormapihkala

 

20071215


ご降誕おめでとうございます。

 主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」  このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。(マタイ1:2023

 今年の夏の挨拶の中にかなり詳しく主イエス・キリスト様に出会った個人的な証をさせて頂きました
http://www.pihkala.net/TegamiJP/Kesa2007.7.19.pdf)。 それはどうしようもない罪の奴隷で、罪責感で悩んでいた私の所にイエス様ご自身が訪れて下さって、その聖霊様を与えて下さって、私の心に罪の赦しの平安と 喜びとを注いで下さいました。思いがけない恵みによって、私の為に十字架の上でその尊い血潮を流して下さったイエス様に出会いました。しかし、その後はど うだったでしょうか。

 明 確に救われたと分って、喜びに満ちた一日の後で、罪を犯してしまって、折角の平安と喜びは宙に浮いた年金と同様に一瞬の内に消えてしまいました。大変がっ かりしました。又必死に祈って、イエス様に赦しを願って、やっとの事で平安が戻りましたが、以前のような大きな喜びはもうありませんでした。自分自身の中 に依然として罪深い性質がある事に気がつきました。しかし、イエス様がきよいお方で、罪を憎んでおられると分ったから、私が罪との戦いに本腰で挑戦しまし た。


  しかし、その戦い方は基本的に間違っていました。救いはイエス様の一方的な恵みであることがよく分りましたが、救われた者として、自分で正しい生き方をし なければならないと誤解しました。ですから、私のところまで来られて、いつも共におられるキリスト様から目を離して、自分の努力や自分の状態に目を向けま した。しかし、それは電源から離れた電気機関車を自分の体力で動かそうとするとよく似た大変な事でした。自分の力で神様の律法を守ろうとする努力は本質的 に救われる前と救われる後は同じような無理な頑張りに過ぎませんでした。いつも罪の誘惑に負けて、頑張っても、頑張っても、自分の罪と罪深い欲望や習慣的 な罪から自由になりませんでした。

  しかし、イエス様に出会った覚えがあって、繰り返して、イエス様の元に罪の赦しを求めに戻りました。又繰り返してイエス様も赦しの平安を与えて下さいまし た。しかし、このような律法の元で頑張るとすごく疲れる場合がありました。また、少しづつ、平安に戻る時間的な距離が長くなりました。そこに悪魔は隙間を 見て、すごい攻撃に出ました。それは、救いの確信についての戦いでした。「こんなに同じ罪を繰り返すあなたは、もう何のクリスチャンでもなく、もう辞め て、信仰を捨てなさい」と強く迫ります。しかし、幸いにイエス様の聖霊様は私の心から離れていなかったから、聖書のみ言葉を頼りにして、いつも新しい悔い 改めに私を導いて下さいました。明確な救いの体験の記憶も助けになりましたが、人にイエス様の証をしながらも、悪魔は「あなたは偽善者です。自分でもまと もなクリスチャンでないのに、何で人に証をするのか」と迫りました。

  このような中で、とにかく神様に愛されている証拠を求めるようになりました。よい家庭があって、よい友達も、好きなガールフレンドも、高校生活の成功も、 教会の青年会の楽しい交わりも、私の一種の拠り所になってしまいました。しかし、この様な戦いが4年間も続いたから、ひどく疲れました。しかし、今から考 えれば、神様がこのような戦いも許した理由がありました。それは、自分自身の罪深さがいかに深いか、又自分の力でどうしようもない現実である事を徹底的に 教えて下さった事でした。

 二十歳の頃、徴兵制の軍隊生活に入らなければなりませんでした。そしてある日に、家から500キロ離れた場所で、主は私の間違った安心感の頼りをいっぺんに取り除いて下さいました。それは、私が重い心臓病にかかって、死にそうになって、1年 間の病院生活を過ごさなければならない事せした。成功も、友達も、家族の支えも、死の恐怖の前に何の役にも立ちませんでした。又自分の気持ちを高めようと する努力も病気の疲れの中に全く不可能になります。「神様、あなたの愛は何処に消えたでしょうか」と嘆きながら祈っていました。

そ こにやっと答えが出てきました。「私ですよ。あなたの為に十字架の上に死んで、蘇っている私がずっとあなたと共に来たのですよ。今からあなたが死んでも、 その時もあなたと共にいますし、その後も共にいますよ。」 私の頑張りではなく、ただ主イエス・キリスト様だけが答えでした。十字架の愛が見えてきまし た。

 「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます現在形)。」(ローマ5:8

  そして、退院して汽車で家に向かっていたある時、ルターの事をある本で読んでいた際、一つの言葉が強い力で私の目に飛びました。それは、「イエス様の十字 架の血潮は十分です。」私の救いの確信は私の何かに頼るのではなく、一方的な恵みに寄ります。はるかかなたに消えたような神様の大きな平安と喜びが戻って きました。「私ではなく、あなたです!」

 それからの罪との戦いの中に、目を主に向けて、たとい私が倒れても、主のみ手の内に倒れるから、もう一度立ち上がります。私の歩みは私次第ではなく、イエス様次第と分って、気持ちがすごく楽になりました。 

「インマヌエル ― 神われらと共に」 なんと言う素晴らしいクリスマスの恵みでしょう。

ヨーロッパ訪問

 聖書学院の第一学期が終わって、夏にフィンランドに帰って、そしてそこから長女ハンナの家族の住んでいるマドリッドに行って、日本語礼拝と聖書研究会の奉仕をさせて頂いて、ハンナとマドリッド集会の伝道師一緒にイタリアのミラノに行きました。そこで行われた全ヨーロッパキリスト者の修養会に参加させて頂きました。ヨーロッパの諸国から270名の方々と交わりと賛美と十字架のメッセージとに預かり、希にしか経験出来ない、深い主の取り扱いと恵みを受けました。

 フィンランドに帰ったら、家内と娘シニッカの荷物を日本に送ったり、聖書学院のホームページ作ったりなどをしながら、家族の交わりを楽しんでまいりました。8月の終わりに家内とシニッカと一緒に日本に戻って、引越しを済ませて、第2学期が始まりました。

 

秋の奉仕

  神戸ルーテル聖書学院で小教理を教える他に、英語やコンピュータで週報作りなどの教会活動で必要な事務処理をも教えるようになりました。学院デーで学生た ちと共に諸教会で奉仕の場も多かったのです。赤穂教会、東福山教会、西宮南教会、淡路恵み教会で、東徳島教会、南大阪教会、阿南教会、西明石教会、緑ヶ丘 教会、吉野川教会でお世話になって心から感謝致します。

 来年の初め頃に公開する予定の聖書学院の新しいホームページ作りも楽しい挑戦でした。

 神戸ルーテル神学校の50周年記念集会や聖書学院の同窓会や神戸クリスマス・フェスティバル、神学校と聖書学院の合同のクリスマスフェローシップ、路傍伝道などは秋のハイライトでした。特にルターの生涯についての神学生達の劇が非常に印象に残っています。

 秋から神戸ルーテル聖書学院の働きの他にフィンランド・ルーテル宣教会の管理的な仕事が大分回ってきて、忙しくて充実した毎日を送ってまいりました。

 家内は健康が守られて、伊丹教会、青谷教会、東徳島教会で料理教室や家庭集会で奉仕や交わりに預かって、新しい環境になれて、いる場を見出して、喜んでいます。

 新しい環境に慣れにくいシニッカも聖書学院の授業に参加して、皆様にとても暖かく受け入れて、理解して頂いて、感謝しています。

 

 

主イエス・キリスト様の降誕を心より喜び申し上げます。

主の恵みの2008年をお迎え下さい。

J. & L. ピヒカラ

 

「私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。」(詩篇73:28) 津田文子作