すべての人々は、宗教を信じるか信じないかと関係なしに、人生の最後の時まで次の事を問い続けます:「なぜ私が生まれてきて、何のために生きていますか。」
ユダヤの指導者たちがイエス様をローマの総督ピラトの前に連れて来て、イエス様を死刑にする要求をしました。彼らはイエス様が自分を王様になると主張して、ローマに謀反を犯していると責めました。それでピラトはイエス様にその事を尋ねるとイエス様はご自分の支配が霊的な、真理と愛によるものだと答えられました。その中にクリスマスの内容についても語られました。
クリスマスに私たちはイエス様のご降誕をお祝い致しますが、初めのクリスマスにいったい何が起こりましたか。イエス様は二つの表現を使われました:生まれる事と来られる事。両方の表現は必要でした。生まれる事は以前なかった存在の始まりを指しますが、来る事は前から存在する方が私たちの所に現れることを意味します。
先ず第一に初めのクリスマスにまったく新しくて、以前なかった事が始まりでした。三位一体の聖なる神様は人間として生まれました。人間を創造なさった神様は人間性をそこまで評価なさいました。ご自分が人間の姿をとって、本物の人として生まれました。
主イエス様は、真の人間とまた真の神様として、罪を取り除く為に十字架の上で私たちが受けるべき罰を代わって受けられました。そして三日目に墓から復活なさいました。そして天に昇天されましたが、その時にも真の人間と言う性質を保ちました。今現在もイエス・キリスト様は真の神様と同時に真の人間です。
第二にクリスマスには永遠の昔から存在しておられる神様のみ子イエス・キリスト様がこの世に来られて、私たちと共に住まわれました。イエス様はご自分が創造した世に来られました。初めのクリスマスの奇跡は私たちの想像を遥かに超える素晴らしい恵みの出来事でした。その中に神様がどれほど人間を愛しておられるかは明らかになりました。汚くて臭い馬小屋の夜の中に宇宙の創造者がその作られた人々の所に下って来られました。私たちの罪深い心も暗くて、汚れて、臭いですが、その中にも主が今年のクリスマスにも入ろうとなさいます。この神様の愛を見たみ使いたちは神様に賛美をせずにおられませんでした。クリスマスの賛美は天国から始まって、今地上で最高の音楽として広がっています。
「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」
イエス様は明確な使命を持ってこの世に来られました。罪が神様から離れさせた人々をもう一度ご自分の支配の下に戻すためにでした。人々を縛りつく暗闇の力に打ち勝つためでした。死の力を滅ぼすため王様としてお生まれになりました。旧約聖書の中に王様の役目は無理やりに人を支配する事ではなく、敵から人を解放して、人々に自由を与えることでした。イエス様はそのような王様としてお生まれになりました。
ピラトに対する答えの中にイエス様はその王位をどのような方法で実行するかをも教えて下さいました。イエス様ご自身は真理であり、真理の言葉によって人々を支配して下さいます。別の場面でイエス様はその弟子たちにこう言われました:
「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ8:31-32)
イエス・キリスト様の真理の光に照らされて、自分の暗闇や罪や心の汚れを認めないと誰も自由を得ません。しかし、謙って、自分の本当の姿で主イエス様の下に来る人は自由が与えられます。それはイエス様がその十字架の血潮によって心を清めて、罪を赦して、暗闇の力から開放して下さいますから。
こうして開放された人々に新しい人生の意味と目標が与えられます。彼らはイエス様のみ声を聞いて、主と共に歩んで、主の栄光の為に生きる者になります。彼らは自由を得て、主の愛によって生かされて、主の僕になります。
ピラトはイエス様の答えを聞いて、「真理は何ですか」と言って去って、イエス様を攻める人の所に戻りました。自分についての真理を聞きたくはなかったからでしょうし、真理より権力を愛したからです。攻めるユダヤ人たちの圧力に負けて、イエス様を死刑にしました。
しかし、イエス様は真理の王様として十字架の道を歩まれました。十字架の苦しみの中に私たち人間の罪の酷い結果が明らかにされました。しかし、それだけではなく、神様がいかに暗闇の中にある人々を愛して、彼らを救おうかと言う事も啓示されました。イエス様の十字架の上で叫んだ「完了した」という声は勝利宣言でした。私たちの罪の処罰は終わって、天国の道が開かれて、光と自由が暗闇に勝利しました。イエス様の復活はこの勝利の封印です。
イエス様の真理を受けるとあなたにも本当のクリスマスがやってきます。
イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネ8:12)