コロナ禍の中に多くの集会がキャンセルされ、
時間が出来て今年は日本語からフィンランド語に幾つかの本を翻訳してきました。その中の一番新しいのは色々の日本人キリスト者の証しを100年にわたって集めたものです。その中に以下の東徳島福音ルーテル教会の豊米節子様の1989年の証しも入れました。
翻訳した証し集の中に日本語の原文の一部をを次のホー
ムページから読めます:
http://www.pihkala.net/Message/AkashiFront.htm
今でも目に焼きついて
います。借家を捜して
住吉6丁目の相原住宅へ来た時、ライトに照らし出された十字架が夜空にくっきり白く浮かびあがっていた光景が。「あっこんな所に教会がある」。それが、東
徳島ルーテル・キリスト教会でした。宣教師の方がクリスチャン新聞を持って訪ねて下さり、まだ、小さかった二人の子供を連れてお伺いしたのが、教会との交
わりの第一歩でした。
聖書の学び、クッキング、教会学校と、近いのが一番の条件で子供達と三人でよく通いました。私自身、小学生の頃、日曜学校
に通い、創造主であられる神はいらっしやると信じてはいましたが、イエス様の十字架の意味がなかなか分らない私でした。
転居と、宣教師御一家の一時、帰国が続き、
いつしか教会から遠ざかっていました。再び聖書の学びにさそって頂いた時は、北沖洲に新しい牧師館がたち、その明るい居間での勉強となりました。当時、車
の運転の出来なかった私は、何人もの方のお世話になり、聖書の学びを続けることができました。
創世記の一章から順をおって学んでいくうち
に、当初、わからなかったものが見えてきだし、半年程たった頃には、学びが楽しくて楽しくて、持ちどおしくて仕方ありませんでした。そうして、創世記を学
び終わる頃には、聖書と神様を全々知らない人でも、ここだけでも全部学べば、きっと神様の事がわかるのにと、思うようになっていました。
そして、私の心がいつ
も神様の方を向いていようと、いまいと、神様の目には、私はいつもとらえられている。私をいつも見ていて下さる。と確信を持つことができるようになりまし
た。
確かに聖霊の働きを感じることができまし
た。でも、何の苦労もなく、子供時代を過ごし、確かに神様が、引きあわせて下さった誠実で、やさしい主人と結婚し、かわいい二人の子供に恵まれ充実した生
活を送っていた私は、この世の旅路を終えた時には、絶対神様の、御国に入りたい。けど、かといって、この世の生活もそれはそれで楽しいしと、洗礼に踏みき
れないでいました。でも、試練はやってきました。長年務めた会社を、それも優遇してくれ、ここに務めてさえいれば、将来安泰という会社を「やめたい」と主
人が言い出しました。
でも、このことを通して確かに、神様と共に居
ることの平安を感じることができたし、すべてのことは、神様の御計画と身をゆだねる事ができたし、この世的に言えば、一番不安定な時期に二人で聖書を学ぶ
時が与えられたし、主人の再就職先である、大阪への引っ越しが決まっても、まだ、為らっていた私を、この時期、神様がとらえて下さり、私と子供二人、引っ
越しの一週間前に受洗の恵みにも預かることができました。でも、私達より一足先に単身で大阪へ行っていた主人は、それから、ニケ月もたたぬ間に、この世を
去ってしまいました。
『神様の御心と信じて、皆で大阪へ来たのに、私達の一家あげての上阪は、いったい何だったのだろう』と言う思いが頭にいっ
ぱいになりながら、大切にしている、何冊かの聖書ノートをくっている私の目に、こんな文章がとびこんできました。
神はあなたが生れる前から、あなたのことをことごとく
知りたまいました。神は、あなたの幼年時代から少年時代、青年時代から、壮年時代を通じて、あなたを見守りたまいました。あなたの生涯のうち、神の見守り
とご配慮のなかった時は、一瞬間たりともなかったのです。
それは、そうなるよう
計画されていたということです。彼らの上に起こったことは、間違いでも、偶然でもなく、その道は、尋ねがたく、その知恵は完全である、神の計画のうちに
あったことでした。
私はそれを読んで、不
思議でたまりませんでした。
直感的に主人のことをいっているんだと思え
ました。それは、確かに、私の筆跡でした。でも、どう考えても、私が書いたという記憶はないし、何かの本から引用したのかなど調べて見ても、ないし、いつ
もはたいてい書き込む日付けもないし、きいても聖書には、そんな箇所はないと言うし。人は「そんなバカな」と言うかもしれませんけど、私は、今もそれは
「神様からの啓示」と思って心にしつかり留めています。
すべてのことは神様が知らないうちに、何事も起こりはしない。神様が良しとしないことは、この世では何事も起こりはしな
い。すべてのことは、人間の考えのおよびもしない、神様のご計画なのでしょう。
不動産屋に頼んで売りに出してあった家も、
人手に渡ることなく、思い出多い、なつかしい我が家で三人の生活が始まりました。神様はすべての事を、御存知で、私が一人になってもやっていけるように
と、あらかじめ、私に救いの道をそなえていて下さったのでしょう。四人の生活から(と言っても、主人は仕事柄、家をあけることが多かった。)三人になって
も不思議なくらい気持の上で、今までと変わりなく、父なる神様の御手の中で平安を得、満たされた気持ちで日々を、送らせてもらっています。
二人の子供達の将来についても「成長させて
下さるのは神様です。」の御言葉に頼り、親の私のすることは、主に祈ることだ付です。『もし、私がまことの神様を知らずして、主人を失っていたら、どんな
日々をおくっていただろう。』と考えるとき、神様の奇しいわざに、感謝しないではいられません。
又、父なる、神様の子とされ、多くの愛する、兄弟、姉妹を与えて下さった事も感謝します。
『私が道であり、真理であり、生命である』と
言って下さる神様を信じ、『私の愛の中にとどまりなさい』と言って下さる、神様にすべてをゆだねこの世の旅路を終えたい私です。 (
豊米節子様の証し、1989
)
コロナ禍の中に
夏に落ち着いたコロナ感染の第一波は10月
ごろから予想通りに第二波になって、今春よりも多くの感染者が出て、かなり厳しい制限の措置を取らなければならない事態になりました。日本の第三波も増加
を辿っているこの頃です。ワクチン注射がフィンランドでクリスマス後から始まる予定で、まず病院などのスタッフから始まって、高齢者は2月ごろの見通しです。ルーテル教会の礼拝は又インターネットに代わりました。クリスマス礼拝も外を除いて礼拝出席が出来ない
様です。それにしてもフィンランドの状態は日本とよく似て、他のヨーロッパより随分ましです。
10月から日本が仕事ビザを持つ人を受け入れるようになって、FLMから山口ご一家とスルヤティエご一家がもうすでに来日して、又FLOMからアウビネンご一家が今月の終わりに
来日出来るようです。他の宣教地にも徐々に宣教師が戻りつつですが、未だ閉まっている国もあります。
夏に生活はかなり普通と似ていて、家族の皆にも割と自由に会えましたし、教会活動も活発でした。家族は皆元気です。ただ今
は慎重にしなければなりません。
Espoo Kotikirkko
Espoo教会は小さい方で、すべての集会
は普段通り今も行われます。秋から路傍伝道も活発になりました。私は月に一回説教をして、家内も同様に教会学校の奉仕をしています。Espooの町は首都
ヘルシンキの隣ですが、移民がとても多いです。路傍伝道で英語で話したり、フィンランド語で話したりする様子です。イスラム教徒が多いですから、フィンラ
ンでありながら、キリスト信仰を知らない人が多いです。
インターネット伝道にも力を入れちます。そ
れにフィンランド社会でも大きな問題である中絶に対して反対運動も起こしています。生まれていない赤ちゃんにも人権があるはずです。一方で赤ちゃんを体内
で殺して、罪意識で悩んでいる人々にイエス・キリスト様の十字架による悔い改めと赦しの奉仕にも加わっている教会です。
都会の教会としてEspoo教会も人の出入りがかなり激しいです。去年10人が加わって、今年は同じぐらい別の町に引っ越ししました。
ミッションの働き
私たちはFLMの本部の近くに住んでいますから、その聖書学院に時には教えたりする事があります。この秋に宣教師訓練講座で日本の宣教の実
態と宗教的な背後について講義をしました。その中から来年又ランタマキご夫妻が来日する予定です。
以前私たちを50年も祈りとサポートで支えて下さった北サボの地方団体の50周年記念礼拝と祝会に奉仕に行きました。多くの忠実なキリスト者の愛に支えられている事は主の恵みの奇跡です。
以前日本で20年宣教師として働いて、その後聖書を教える教師として幅広い活動を続けてきたP.バルカマ先生(奥様)がほぼ2年間癌で戦ってきましたが、今は治療が終わってホスピスケアーを受けています。ご一家を祈りで覚えて下さい。
FLMの新しいリーダーに以前11年宣教師として働いたD.ヌンメラ先生が選ばれました。
家族ニュース
末っ子のサボネたちの長男マウノは施設に住んでいますが、落ち着ています。9月に個人的な信仰告白をしました。
あなたの友情を心から感謝致します。主の祝福をお祈りいたします。