闇の中を歩んでいた民は大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝く(イザヤ書 9:2)
クリスマスメッセージ
最初のクリスマスは、宇宙の創造主でおられる天の父なる神の独り子、イエス・キリスト様が、処女マリアから生まれた幼子として、人間としてこの世に来られ
た夜でした。大人になったイエス様は、死刑を宣告しようとしていたローマ総督に、ご自身が来られた理由をこう説明されました。「わたしが王であることは、
あなたの言うとおりです。わたしは、真理について証しするために生まれ、そのために世に来ました。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。」
(ヨハネ
18:37)イエス様の誕生は、天の栄光から、神様に背を向けた人類の闇へと降りてこられたことを意味しました。イエス様は、自らの人生を通して、父なる
神様がどのようなお方でおられるかを示すために来られました。イエス様は真理であり、真理に従う者だけが、死の闇の中で命と光を見出すことができるので
す。イエス様はこう言われました。「わたしを見た人は、父を見たのです。」 (ヨハネ
14:9)父なる神様とイエス様は一つです。神様は計り知れない栄光であると同時に、聖なる愛です。神様の本質は、イエス様の謙遜さ、この世の最も低い所
に入り、十字架上で死を受け入れたことに輝いています。しかし同時に、イエス様は宇宙を支配する王でもあります。
イエス様は
栄光のみ国から死の陰の谷に来られましたが、それは父なる神様の御心を成就するためでした。イエス様を信じる者は、その犯した悪い行為とその怠った膳のゆ
えに、イエス様の正しい裁きによって永遠の滅びに定められることなく、神様との交わりの中で永遠の命を得るという御心を成就するためでした。イエス様はカ
ルバリの十字架上で私たちの身代わりとして私たちの罪の罰を受けることで、この御心を成就されました。死後、三日目に墓から肉体をもって復活し、ついに天
に昇られました。そして今、最後の審判において最終的な正義を執行するために、偉大な栄光のうちに再び地上に来られるまで、王として統治しておられます。
イエス様は復活によって死の力を覆し、最終的にすべての人々を最後の審判へとよみがえらせます。イエスはご自身の使命をこのように述べています。
「わたしが天
から下って来たのは、自分の思いを行うためではなく、わたしを遣わされた方のみこころを行うためです。わたしを遣わされた方のみこころは、わたしに与えて
くださったすべての者を、わたしが一人も失うことなく、終わりの日によみがえらせることです。わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいの
ちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせることなのです。」(ヨハネ 6:38-40)
父なる神様
の御心は、イエス様の約束を信じる者は誰も失われないことです。救いの確実性を一瞬たりとも疑う必要はありません。イエスご自身が、ご自分の民が失われな
いように見守ってくださいます。信じる者は永遠の命を持つのです。一方、信仰とは、開かれた正直な心で祈りを通してイエス様のもとに近づき、自分自身につ
いての真実を認め、イエス様がカルバリの十字架上で私たちのためにしてくださったことに信頼することです。信仰の目を持つ人が、まさに自分の罪のために十
字架上で死んだイエスに目を向けるとき、自分が犯したすべての悪と、怠ってきたすべての善が赦されます。同時に、聖霊が心に受け入れられ、神ご自身の永遠
の豊かな命が彼の内に宿ります。イエスご自身が彼のすべての必要を満たしてくださいます。あなたも、大胆に主イエス様に心を開くことができます。主との親
密さは甘美で、天国の前触れを味わうようなものです。イエス様はあなたを愛しておられます。
御父の御心
もまた、肉体の復活によって死を打ち負かしたイエス様が、終わりの日にご自身の民を復活させることです。人は生まれながらに死を恐れます。それには多くの
理由がありますが、いずれも良心の証しによって、最後の審判が来ることを予期しているからです。しかし、主イエス様を信じる者は、肉体の死を恐れる必要は
ありません。愛する人との別れは、永遠のものではありません。新しい復活の体で彼らに会うのです。愛する人の墓の前で絶望の涙を流す必要はありません。死
の苦しみに苦しみながらも、主イエス様が約束された驚くべき栄光をしっかりと掴むことができます。それに比べれば、この世のどんなに辛い苦しみも、はかな
いものに思えるでしょう。主イエス様信じる者がどこへ向かうのかを知っています。イエス様の復活の体のような新しい体を受け、新しい地と新しい天で、救い
主を限りなく賛美することができるのです。
クリスマス
の天使たちの喜びのメッセージ、「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。」(ルカ2:10)と
は、イエスが私たちに対する父なる神の愛の御心を成就するために来られたということです。ですから、恐れることはありません!イエスを信頼してください!
すべてはあなたのためにも用意されています。あなたはその贈り物をそのまま受け取ることができます。クリスマスは神からの贈り物なのです!
磯野みゆきさんのクリスマス証し
幼少期は母の病気が私の成長に影を下ろして、母は祖父母と田舎で過ごすことが多かったです。父が忙しくて自分で何もかもしなけれまならなかった。学校では
いじめに遭い、引きこもりがちでした。10歳になるまで友達はできませんでした。高校生の頃は旅行に憧れ、大学では観光学を学びました。2019年末には
フィンランドに一人旅をし、ヘルシンキの観光名所を巡り、初めてキリスト教の教会を訪れました。
帰国後まもなく、日本で新型コロナウイルスの感染拡大が始まりました。旅行代理店での仕事にも影響が出ました。自由な時間がたくさんあったので、キリスト
教関連の書籍を読み始めました。また、クリスチャンラジオ番組「心の光を」を聴き始め、通信講座にも参加しました。HAT神戸教会の連絡先を見つけ、吉田
牧師に連絡したところ、牧師は喜んでくださり、礼拝に誘ってくださいました。
2020年7月、初めて日本のキリスト教会を訪れまし
た。とても素晴らしい経験だったので、翌日には聖書を購入し、読み始めました。毎週の礼拝にも出席し始めました。説教やオンラインで見つけた教えを通し
て、多くのことを学びました。こうして、私は徐々にイエス様を知るようになりました。10月には、自分の罪とイエス様への信仰を告白する準備ができまし
た。その後まもなく、教会で洗礼学校に通い始めました。
信仰は私の人生を大きく変えました。自分が望むほど良
い人間にはなれないと悟りましたが、神の恵みが私を支えてくれています。以前は嫌なことで悩んでいましたが、今は聖書と祈り、そしてイエス様が私たちの重
荷を自ら引き受けてくださると約束してくださったという事実に慰めを見出しています。様々な苦しみと悲しみに満ちていた私の人生が、少し軽やかになりまし
た。
2020年のクリスマス、HAT神戸教会で洗礼を受け
ました。その日が私だけでなく、教会全体の大きなお祝いの日だったことに、とても驚きました。皆が私と一緒に喜び、プレゼントや花束をいただきました。
今、私は幸せで希望に満ちています。私の人生に光が差し込んできたからです。(Vie Sanoma 2020 雑誌からの抜粋)
死の影
過ぎ去った11月は、東ヘルシンキ教会、友人たちの生活、そして私自身の兄弟姉妹の生活に、死の影を落としました。秋の間ずっと姉の衰えゆく様子を見守ってきましたが、彼女は今もなお頑張っています。長年の友人であり、支えであり、執り成しの働き手であったマルク・フットゥネン様は、主のもとへ召されました。日本からも、主の栄光へと召された方々についての知らせを受け取りました。私たち自身の老いは、いつでもイエス様と直接お会いできるよう備えていなければならないことを私たちに思い出させてくれます。
喜びの秋
一方ではこの秋、3人の小さな子どもの誕生と、赤
ちゃんの成長の驚くべき恵みを教会で喜んでいます。他方では、この秋は仕事で一杯でもありました。例年よりも多くの説教と教えがありました。2、3週間の
洗礼講座を執り行ったことは、私にとって特別な喜びでした。スリランカ出身のシャルカさんは、ミッションの聖書学院で洗礼を受けました。また、ヘブライ人
への手紙に関する説教シリーズも完成することができて嬉しく思っています。この手紙のメッセージは深く、その執筆は心を揺さぶるものでした。
長女とその夫の約3年間の中国での任務が終わり、年明けにはアラブ世界で新たな挑戦が待っています。
パルム達は20年前に日本への宣教に出発しました。そ
の娘は神戸のインターナショナルスクールの最終学年です。他の孫たちは全員フィンランドにいます。1人は軍隊に、1人は職業訓練に応募中、1人はリハビリ
中、3人は大学に、残りは学校に通っています。子どもたちや孫たちが教会との強いつながりを見出し、それぞれの場所で主に仕えたいと願っていることを、私
たちは特に嬉しく思っています。
妻のレア(84歳)はサマーキャンプで転倒した後、歩行に支障が出ましたが、白内障手術を受けたおかげで視力は良くなりました。ヨルマ(81歳)は年齢の割に健康です。
あなたの友情を心から感謝致します。主の祝福をお祈りいたします。
主イエス・キリスト様のご降誕を心より喜び申し上げます。主の恵みの2026年をお迎え
下さい。