ベルギーで開かれた「ヨーロッパキリスト者の集い2014」に家内と一緒に参加して、恵みを沢山頂いて、フィンランドに帰りましたが、今年のテーマは伝道でした。伝道と言う言葉は「道を伝える」と言う字で出来ているから誤解しやすいかと思います。イエス様は「私は道であり、真理であり、いのちです」と言われたから、伝道はイエス・キリスト様を伝えることです。「イエス様が十字架の上で死なれて、私たちの罪の身代わりとしてすべての罰を引き受けて、三日目に復活して、今生きておられて、主を頼りにする人々に罪の赦しと永遠のいのちを与えて下さる」と言うよい知らせを伝えるのは伝道です。
私の高校時代の友達がある時にこう言いました。私もイエス様を信じたいのですが、あなたみたいに人にイエス様の話をするのは僕に無理だから、クリスチャンになれません。数ヶ月後で彼がイエス様に出会って、輝いた顔で人々にイエス様の話をしたから、私が聞きました「だって今あなたが伝道しているのではないか」と。すると本人が「伝えずにはおられません、余りにも大きな喜びや平安を主から頂いたからです」と。
福音を伝えるのは主の愛を経験した上に重荷ではありません。喜びです。又人生の中で最も大切な使命です。なぜなら、イエス様の救い以外に誰も永遠のみ国に入ることが出来ないからです。イエス様の愛を人に紹介するのはその人に対して最も大きな愛の表れ方です。イエス様はすべての人の救いを願っておられるからです。
その愛を具体的な医療手段で示すために私たちの二人の友達、フィンランドルーテル宣教会の宣教師が1998年ごろアフガニスタンに派遣されました。そこで忠実に愛の行いを通してイエス・キリスト様の恵みを伝えました。しかし、7月24日に彼女らは殺されました。タクシーで買い物に行く途中でバイクの二人組みのテロリストに銃撃されまして、即死しました。
二人の片方は前の晩にメールで「ここで奉仕が出来るのはとても嬉しい」とフィンランドの本部に伝えました。今主の御前で殉教の冠を受けて、救い主の賛美をなさるに間違いありません。昨日同じミッションで働いてきたお姉さまに会って、妹さんが受けた栄光の冠を誇りとしていると言いました。
主の愛を伝えるのは地上のいのちよりも大切です。何故かと言うと永遠のいのちが福音によって与えられるからです。最も優れた愛は自分の命を相手のために捧げることです。
二人の殉教の事を聞いた時に何人かの日本人と一緒に次の通りにお祈りを捧げました:
「主よ、この二人に殉教者として栄光の冠を与えて下さった事を感謝致します。残された遺族の方々に慰めを与えて下さい。彼らを殺した犯人たちが福音に触れて、自分の罪に気づいて、悔い改めて、主の十字架の故に赦されて、二人と同じ天国に行けるようにして下さい」と。
天国の殉教者たちは神様の正義が行われる事を祈りますが、地上で殉教の前に第一の殉教者であるステパノは赦しを祈りました。主の御心はすべての人の救いです。テロリストも含まれています。しかし、悔い改めないなら、最後の裁きの時に正しく行いによって裁かれます。神様の愛は最終的に正義をもたらせますから。
主の恵みの時が今日続きますから、赦しと永遠のいのちの福音を自分で信じて、他の人々に伝えましょう。