今年の7月27日は私の救われた60回目の記念日でした。青少年キャンプで15歳の時にイエス様に出会って、イエス様の十字架の贖いのゆえに私の罪が赦されて、聖霊による平安と喜びに満たされました。詳しい事は次のリンクから読めます:
http://www.pihkala.net/Message/OmaTodistus.pdf
救いは神様の恵みによる奇跡です。しかし、それはすべての人に提供されます。神様はすべての人の救いを願っておられます。それで一つの証しを引用致します。後である米子の教会の長老として奉仕した長尾英人さんの1996年に脇町教会での証しです。
私は若い頃過労と栄養不足で、当時不治の病気といわれていた結核になりました。肋膜炎や胆石も患い、おまけに不眠症にもかかりました。三年間というもの
は、あおむけに寝たっきりで、家内が私の口を開けておかゆさんのような物を食べさせてくれました。下の世話まで全部にわたって付き添って看護してくれまし
た。私は国鉄に勤めておりましたから、鉄道病院のお医者さんが交替で往診してくださいました。家内は私の看護のためにやせ衰えて、家内の方が危険な状態に
まで追いこまれ、三年間というものは、経済的にも精神的にもまた肉体的にも苦しみました。
私は神様というものを知りませんでした。イエス様がどのようなお方かも知りませんし、米子にいて教会がどこにあるかも知りません。ましてや、牧師様がどの
上うなお方でどんなお仕事をなさるのか知らなかったのです。そのような者も遂にイエス・キリスト様にお会いするときがきました。昭和二十三年一月十六日の
夜七時、私は汗臭い寝間着を着たまま、ひげは伸びたまま、家族の誰にも気づかれないように、寝台からこっそり下りて、はうようにして冬の屋外にさ迷い出ま
した。しばらく行くと道路脇に小屋のような小さい家がありました。どういう訳か私はその家にフラフラと入ったのであります。玄関に入り立っておりますと、
中から一人の婦人が出てこられ、私を見てびっくりなさったその方は、そばのこたつに掛けてあった毛布を、まるで投網でも打つようにして私の頭にかぶせ掛け
てくれました。私は毛布をかぶったままでそこにうずくまっていました。しばらくすると男の方が出ておいでになり、私の腕を取って畳の上に引きずり上げ、こ
たつの中に入れてくださいました。その方が後に私の恩師となられた佐畑清先生でありました。
先生は私に色々とたずねられて話を聞かれました。先生も私にお話をしてくださいました。そのうち、こたつの上に部厚い本を出され、その本をめくっておられ
ましたが、静かに私の頭の上に手を置いて「子よ、心安かれ汝の罪赦されたり、されど之を受けし者、即ちその名を信ぜし者には、神の子となる権をあたえ給え
り」とのヨハネ伝一章十二節を語られ、続いて「手を病の者につけなば即ち癒えん、彼の笞打たれし傷によりて、汝の病癒されたり」「ハイこれでよろしゆうご
ざいます」と言われました。絶望から希望に、暗黒から光に、死から命に移された私は涙と鼻水とよだれでくちやくちやになって、その場で罪を悔い改めまし
た。後で聞いたことでありますが「この男は、今この場から放したら死ぬんだなあ ― 目の色が変わっている」と先生は思われたそうです。
献身者の方に抱えられるようにして我が家に送り届けられました。家内は私が見えなくなったのでずい分探したそうです。眠っている長男を起こして家内と息子
の前にひざまずいて、涙ながらに今夜のいきさつを話してあやまりました。その晩から私は変わったのです。主を賛美し「我、癒されたり、我、癒されたり」と
信じて、私と家内は日本海において共に手を取り合い洗礼を受けました。間もなく鉄道病院から肺結核は全治したと診断され「長尾さんは、イエス・キリスト様
がお癒しになった」とも言われました。(1996 脇町教会)
私は救われてから
かなり長い間救いの確信の問題で悩みました。キリスト者になってもすべてのキリスト者の中に罪深い性質が残っています。私は色々誘惑に負けて罪を繰り返す
事とそれを悔い改めてイエス様の十字架のゆえに繰り返して赦して頂いています。その中に果たして私は本物のキリスト者であるか悩みました。私の信仰が十分
でしょうか、どうして罪との戦いで負けるのですかと嘆いたりする事があります。そのような時にバプテスマのヨハネの言葉を思い起こします:「見よ、世の罪
を取り除く神の子羊。」 イエス様は世界のすべての人の罪を赦す為に十字架で私たちの身代わりとして死んで、三日目に蘇りました。私もあなたも含まれてい
ます。だから、自分の弱い信仰を見ないで、イエス様を仰ぎ見て下さい。あなたの過去の罪も、今日の罪も、将来の罪も赦されます。イエス様はあなたを見捨て
ないのです。救いの確信はイエス様に対する確信です。イエス様はその救いの御業を永遠の御国まで完成させて下さいます。イエス様は私を救った以上必ず最後
まで守って下さいます。