Jorma & Lea Pihkala
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2021の 夏


   暑中お見舞い申し上げます。

 わたしのもとに来る者を、わたしは決して外に追い出したりはしません。... わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせることなのです。」ヨハネ6: 37,40)

 イエス・キリス ト様に出会うために、又教会に通うために自分をもっと良い人間にならなければならないと誤解している人がいるかと思います。しかし、そうではなく、有りの ままの姿でイエス様の御許に行けばよいのです:「主よ、こんな私を憐れんでください」と祈れば良いのです。仏教徒のままでも無宗教のままでも、どんな状態 でも教会に来て良いのです。その中でイエス様に出会えば十分です。出会ったら変化が起こるのですが、それはイエス様の愛の御業で、私たちの頑張りではあり ません。
 イエス様は私たちを宴会に招いて下さいます。準備は全部イエス様ご自身がなさいました。十字架の愛によって私たちの罪汚れを清めて、復活の力で死に打ち 勝つ命を備えて下さいました。招待に答えて、有りのままに主の交わりに入れます。主ご自身は私たちをその聖霊によって新しく作り変えて下さいます。愛、希 望、信仰を与えて下さいます。イエス様は丸ごとで私たちを受け入れて、神様の子どもに変えて下さいます。イエス様は約束しました: わたしのもとに来る者を、わたしは決して外に追い出したりはしません。
 私の大恩人である伊藤栄一先生の実例を上げましょう。(藤井圭子先生の本からの引用です。)


 伊藤栄一先生の お母様は長年、先生の弟さんの家に同居されていたそうです。先生が中国で宣教師として働いたからです。しかし、後年、お母様が先生の所に来ることになりま した。そのとき、まだ救われていなかったお母様は、「仏壇を持って行ってもいいのなら、あなたの所に行く」とおっしゃったそうです。当然、先生はその申し 出に困惑しましたが、今、母を引き取ることになったのは、母の救いのための主のお導きで、もしそれを断ったら、母が救われることはなくなると考え、奥様と も祈り合って、お母様を丸ごと受け入れる決心をなさいました。そして、自分たち夫婦は、決して口では母を説得すまいと相談なさったそうです。
 こうしてお母様は牧師館の二階に住み始めました。
 「……ところが教会員など、お客様が来られたとき、二階から『チーン』と仏壇の鐘の音が聞こえてきて、線香の匂いが『ふわぁー』と客間に漂ってくるとき は、本当に弱りましてね……」と先生は楽しそうに笑いながら話されました。実際、牧師ともあろう者が、牧師館に仏壇を持ち込ませるとはけしがらんと、随 分、非難をお受けになったのではないでしょうか。
 先生は言葉を次いで、「しかし、母は明治生まれの人で律儀な面がありましたから、息子に世話になる以上、少しは教会の集会に出なければと考え、祈祷会な どに出席するようになりました。それからしばらくして母は何日間か、所用で弟の所へ行き、再び教会に戻って来たとき、その生活の違いに気付き、それから真 剣に礼拝にも出席し始めました。そしてある時、ルカの福音書12章の中のイエス様のたとえ話の言葉〔『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去 られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。〕(20 一21)に取り扱われ、母はイエス様に悔い改めのお祈りをし、イエス様を信じて救われました。その後十数年間、母は大変恵まれた信仰生活を送らせていただ きました。そして会う人ごとに『教会へお出でなはれ。とても恵まれますよ』と声をかけ、やがて町の人たちから『教会ばあちゃん』とか『キリストばあちゃ ん』と言われるようになり、多くの人たちが教会へ導かれました」と感謝に溢れながら、話されました。
 「相手を丸ごと受け入れる」ということは「言うは易し行うは難し」ですが、やはり、とても重要なことですね。かといって、先生ご夫妻がお母様と一緒に仏 壇を拝まれたことは勿論ありませんでしたが。このことで、第一コリントのパウロの言葉を思い出されます。

 私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴 隷となりました。ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それは、ダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいません が、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです。律法を持たない人々に対しては、― 私は神の律法の外にある者で はなく、キリストの律法を守る者ですが ― 律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。弱い人々には、弱い者に なりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。私はすべてのことを、 福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。」(Iコリント9:19-23)

 

エスポー家庭教会 Espoon Kotikirkko

  エスポー家庭教会は普段あるランチレストランで礼拝を守ります。その他の集会は諸家庭かインターネットで行われますが、コロナの悪化で、3月の 半ばから 6月後半までレストランに対して厳しい制限が定められて、礼拝は外で近くの広場で行われるしか出来ませんでした。外で感染リスクも低かったからです。出席 出来ない人のために内容はインターネットで中継されました。5月まで気温が随分低かったが、沢山服を来て顔と顔とを合わせる交わりを続ける事が出来まし た。毎回20人ないし30人位集まりました。その他に通りかかる人々も加わって、それからずっと教会に通うようになった何人かの方々も与えられました。中 に救われる人もいました。

 ところで4月11日に近くの誰かがコロナ制限を守らない集会があると警察に報告しました。礼拝メッセージの最中で4台のパトカーが入ってきて、礼拝を辞 めさせました。当時は外で6人までの集会しか許されませんでしたが、その日に36人の方々が集まって、広場にバラバラ座っていました。警察は法律上コロナ の制限が宗教法人の礼拝活動に適用されないと言う事を十分理解出来ていなかった様です。私たちはその事を説明しても、警察は断固として礼拝を中断して私た ちを広場から出られるように命令しました。警察が出て行ってから私たちはもう一度集まって、説教を続けることにしました。説教の半ば頃警察は戻って、二人 の牧師を逮捕して、罰金を掛けました。

 教会は国会議員などに連絡を取って、この事件はネットと新聞に大きく報道される事になりました。教会は国会のオンブスマンに異議申し立てをして、その決 定を今待つところです。教会は次の日曜日からまた同じ広場で礼拝活動を依然とほぼ変わらないままで続けることにしました。それからも警察は何回か様子を見 に来ましたが、そのままに去って介入しませんでした。この事件の報道の結果教会の礼拝の様子をイナターネットで見る人の数が一気に何十倍に増えてきて、わ ざわざ広場に様子を見に来る人も現れました。教会は6月にまた室内礼拝に戻ることが出来いました。エスポー家庭教会は顔と顔を合わせる礼拝を大切にしま す。礼拝以外の祈り会や聖書研究はZOOMなどで行われます。

 今年の夏も教会キャンプが中央フィンランドにあるキャンプ場でユヴァスクラ教会と一緒に出来ました。60人のメンバーが集まって四日間の素敵な天気の元 で湖畔の傍でみ言葉と交わりの時を過ごしました。今回のテーマは「Missio Dei」 「神様の宣教」でした。福音伝道を神様を中心に考えました。



日本との関わり


 これを書いている最中に東京の五輪が無観客で行われています。それでフィンランドの諸報道機関で日本について沢山記事が書いてあります。日本のコロナの 状況も当然課題になっています。フィンランドでもこの夏第四波が発生して、日本の第五波とよく似た広がりを示していますが、ワクチン接種率は65%ないし 70%になっていますから、医療機関のひっ迫は今の所避けられています。

 日本でやく16年間宣教師として働いて来たパルム一 家は7月16日に帰国しました。ラウリはミッションの本部で外海伝道の地方主事として働くようになります。朝子は半年間彼らをサポートした諸教会のための 奉仕をするようになっています。神様が許せば、彼らは2年後又日本に戻る計画です。西宮南教会の働きは広野先生、ノルウェー人のネブダル先生と責任牧師岡 崎茂先生の体制で続きます。

 阿南教会で8月1日に津田望さんが堅信礼を受けます。彼と一緒に20年間位一緒に歩んだ経験がありますから、キリスト信仰に導かれた事を心から嬉しく思います。日和佐教会の長老であったお爺さんとお母様の信仰を受け継がれています。


家族ニュース ・ 喜びと悲しみ

 家内は五月の終わりに家の芝の上で滑って、左足首の複雑骨折を起こしました。6週間のギプスから解放されて痛みを耐えながら歩く練習をしています。家内は今年80歳になりますから、全治に何か月間の忍耐が要ります。

 長女ハンナの次男Alex Kiviniemiは高校を卒業して、フィンランドの東にあるラッペーンランタの大学の商業学部に入学出来ました。学びは9月から始まります。

 パルム家の一番上の子どもも神戸のCanadian Academyを卒業してフィンランドの首都圏のアールト大学のエンジニア―学部の英語部門に入学出来ました。

訃報

 7月の25日に訃報を受けました。私の弟Mattiの奥様Riittaさんが癌との戦いの末で主の御許に召天されました。この事で改めて私たち自身の地上の歩みが後僅かである事を思い起こされました。イエス様に罪赦された私たちは希望をもって主の栄光の住まいに目を留めるように勤めましょう。

 あなたの友情、励まし、愛を心から感謝致します。

暑い中で皆様のご健康が保たれるように主にお祈り致します。


皆様の祈りに支えられています。主に感謝します。


  J. & L. ピヒカラ